祭神 保食神(ウケモチノカミ) /配祀神:大国主神/埴安姫神(ハニヤスヒメノカミ)
兵庫県養父市八鹿町下小田
創立年月不詳
江戸時代までは三宝荒神と称せしも明治維新の際、三柱神社と改称せり。明治6年(1873)10月村社に列し同26年本殿覆改造せり(神社庁HP/神社紹介より)
国道312号線の下小田の信号(出石方面に抜ける伊佐橋への道と本道の分岐)で、豊岡に向かって左へ山陰線の踏切を越える。そのまま突き当りまで行き、左折。少しいくと山のほうへ上がる道があるので上がった左の高い場所。
山の斜面に沿って石段をあがるのだが、地盤がずれてきているようで、石段がだいぶ傾いてきていた。
石段の上に鳥居があり、さらに上ったところに拝殿と本殿、境内社二社がある。
ここは高台であり、下小田、伊佐の集落が一望できる場所なので、とても見晴らしが良い。
石段上の狛犬。子供の狛犬も行儀良く並んでいるのが珍しい形だ。入学式での親子のように見えた
石段を上りきった所には注連縄柱があり、その奥に拝殿、その後ろには小さいがなかなか立派な本殿があって敷地ぎりぎりに建っている。
石段上右手には上へ上がる細い道があって人一人がやっと通れる位でした。その道の入口にはお稲荷さんの朱塗りの鳥居があり、上にある境内社二社の内、どちらかは稲荷社だと思われるが、詳細不明
境内社への道の横に大岩があって、落石防止のためか縛ってあった
保食神(うけもちのかみ):食物神
同じ食物神である<宇迦之御魂神>とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られていることもある。
保食神は、日本神話に登場する神である。古事記には登場せず、日本書紀の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。一般には女神とされる。
神名のウケは豊受大神の「ウケ」、宇迦之御魂神の「ウカ」と同源で、食物の意味である。
食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」ということから牛や馬の神ともされる。東日本に多い駒形神社では、馬の神として保食神が祀られており、さらに「頭から馬」ということで馬頭観音とも同一視されている。
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。
月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。
月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。
それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。
保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。
天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
※古事記では同様の説話がスサノオとオオゲツヒメの話となっている。よって、保食神はオオゲツヒメと同一神とされることもある。
石段途中と石段上の二箇所に灯篭があった。
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