赤渕神社|式内社・旧県社

兵庫県朝来市和田山町枚田上山2115

病院に薬を取りにいって、2時間くらい待ちますよと言われ・・・ では散歩でもしてこよう~と思って、和田山を散策した。 
当初は竹田城へ登ろうかとも思ったが、車を走らせているうちに不思議に或角を曲がってみたくなり、奥へ入っていった。 
和田山の町は割合家から近いけど、病院や数箇所の行き付けの所のほかは見知らぬ街だ。 

路地を進むと分かれ道になっていて、道案内の石碑があり「右→お宮・左←お寺」と書いてある。何となくおかしくてデジカメでとって見た。 
まずはお宮へ・・・。 

赤渕神社という。 

石段を登る途中に山門が3つあり (楼門・神門・勅使門)なかなか立派な構えだ。

祭神は大海龍王神・赤渕足尼(そこひ)神・表米宿彌(ひょうまいすくね)神の三神で、神社略記によれば「大化元年(645)、表米宿彌命が丹後の白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、沈没しかけた命(みこと)の船が海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたので、そのアワビを持ち帰り赤渕神社に祭った」とされている。 

また、大海龍王は海神でアワビを使い難を救うらしい。 

赤渕神社の祭礼にはアワビの神事が行われ、近隣では今もアワビを食べない風習が残っている・・・・と書いてあった(^^) 

う~~~ん。近隣でなくて良かった(><) 
山門の木鼻は象(または獏)と竜が彫られていた。

参道の石段から見た楼門
楼門の木鼻
楼門とその奥に神門
一番奥にある勅使門とその奥に社殿


<勅使門のところの説明板>
『この門は勅使参向の際に用いられたものである。元禄7年(1694)に、八木城主・八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797)に修理したと伝える。円形の本柱に前後二本づつの控柱を立てた四脚門形式で材質は欅(けやき)が使用されており、切妻造り、桟瓦葺である。扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股(かえるまた)などの建築細部に見るべき特色があり、但馬地方では数少ない江戸中期の建物である。』

拝殿、その後ろの本殿は木橋で繋がっており、周囲にいくつかの境内社が見られた

拝殿
拝殿の裏から渡り廊下で本殿・覆屋へ
本殿
楼門に施された木鼻の彫り物。竜と獏(象?)が一対づつあり、いつごろのものか不明だが、とても立体的で精工に彫られている。
帰り道・・・参道の石段横を見ると、静かな木陰に穏やかなシルエットで石仏が座している。
日ざしの厳しさもここまでは届かない。

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