私の好きな場所

城崎温泉・温泉寺参道の巨木群

私の職場のある城崎温泉の成り立ちとも深く関わりのある「温泉寺」。
温泉街の突き当たりに山門があり、そこから大師山中腹の本堂まで巨木の点在する静かな参道が続いている。

加茂季鷹や山口誓子の文学碑もある。

普通ならロープウエイで山頂に上るのでこの道は観光客にはあまり馴染みがないかもしれないが、私の好きな場所の1つとなっている。

巨木の群れはむき出しの根をさらして、今も葉を茂らせて入るが、見るたびにとても胸が痛む。

その理由はやはり、根というものは深々と大地に守られているのが当然で、このような造形美は本来は見せずにいてこそ命の営みが保たれていると思うからだ。

この巨体を維持するにはあまりにも頼りない量の土の上に静かに崩壊の時を待っているように見えてつらくなる。
そっと幹をなでる。
声をかける。
また来る約束をかわす。

円山川冬の夕暮れ

山陰線冬の夕焼け

この場所でいつも夕暮れになる。
会社の帰り道。線路には列車の気配もない。
「あの町とこの町と・・・汽車の距離・・・」、遠い昔に友人が送ってくれた詩にそんな一節があって
それを必ずここで思い出す。その続きは忘れてしまったのに。
わたしは今でも汽車に乗り遅れた一人の旅行者のままのようなきがする。
乗り遅れ、切符をなくし、行き先も忘れて・・・・・

ここで毎日夕焼けに出会う。
そして少しだけ何かを思い出しかけるのだ。

山陰線小さなトンネル

このトンネルには一目惚れだった。
山陰線の玄武洞駅から円山川沿いに道は蛇行し、このトンネルを過ぎると、視界は開けて河口付近の景色が見える。

ほんの数メートルしかない長さではあるが、何ともいえない厳しい表情をしている。
馬蹄型に裾を絞って岩山の淵に風穴を開けている。

粉雪はこのトンネルの入り口に風向きを刻み付けて海へ抜ける。

蔦は夏になれば入り口を覆いつくす。
小さなトンネルの小さな石段は一折れして行き止まり。小さな祠を持つ。その岩肌には蛍ブクロウの花が咲き乱れる。

ススキの広がる水門付近

この奈佐川、そして他にも沢山の小さな川が円山川へと注いでいる。私の村の進美寺川、浅倉の稲葉(いなんば)川、出石川・・・・・。普段は穏やかな表情で豊かな河川敷に青草を揺らせているこれらの川が、一度大雨や台風で暴れだすと悪魔のように襲い掛かってくるのだ。
川は生きている、とよく言葉に聞くけれど、水は本当に怖い。
何があろうと容赦なく隙間から進入し、絶対の法則で高いところから少しでも低いところへ全力で押し進む。山以外の場所は全部が川の続きであることを見せ付けられる。
あたり一面泥に埋まっても、秋になればやはりまたススキが群生し、やさしい振りをした顔を見せる。
そのススキの根元には何万もの虫が居て、死んでも死んでも生まれ続ける。
私は海を見ていると元気が出てくるのだが、川を見ていると、静かにゆっくりと何かを諦めてゆくような気持ちを持つ。
そのあきらめは時には慰めに似た気持ちを伴う。

円山川霧の朝

霧に包まれた朝の円山川です

岩中の発電所

岩中の発電所


私の村のお隣、岩中にある水力発電所です。
近くに行ってみたことはありませんので、マジかで見るともっと何かを感じるに違いなく!・・・
もう20年も前から行こう行こうと思いながら、何だかもったいなく思えて、後日の楽しみにしてある場所です。上半分は毎日通勤の道から眺めています。
どこか、機関車を思わせるような、威風堂々の姿は理想の男性像かも。
私のひそかな憧れの的です。

鷹取町のトンネル

妹の家の近く(鷹取町)のトンネル

私はトンネルが何故か幼い頃から大好きでした。トンネルは小さければ小さいほど好きです。そして、蔦が絡まっていれば大好きです。

また、理想のトンネルは・・・・・といいますと、殆ど人の通行がなく、半ば忘れ去られているような状態の、山と同化してしまったようなトンネルが特に好きですが、この、妹の家のすぐ側のトンネルの場合は、なかなか人通りがありますし、現役のバリバリです。

しかし、明るさ、長さ、蔦の伸び具合、周辺の雰囲気とも、私の点数でいくと、87点くらいは付けてあげたい!素敵なトンネルです。

寿長生の郷『大将人形と高砂人形展』

寿長生(すない)の郷『大将人形と高砂人形展』より

高砂人形

大将人形

柿の枝越しに見る村

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