洲崎神社

祭神:誉田別命(ホンダワケノミコト)
配神:大山咋命(オオヤマクイノミコト)/倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)/大田命、磐長比売命(イワナガヒメノミコト)/第六天神

横浜市金沢区洲崎町

私の育った町、横浜市金沢区の町屋町は洲崎のすぐ隣にあり、洲崎神社の前を走る国道16号線は子供の頃から毎日のように通り過ぎたところだ。

金沢文庫から金沢八景へ向かうバスはこの洲崎神社のところで大きくカーブして突き当たると平潟湾のつり舟屋が立ち並んでいた。

小さな神社なのであまり立ち寄ったこともなく、案内板を読んで初めて知った事もいろいろあった。なによりもまず、この神社が富岡と柴のあいだの長浜に在った事。
そして、長浜千軒といわれた(今はもうない)幻の村からやってきた事だ。

良く似た話が、ここ但馬の豊岡と城崎の間にあったといわれる「灘千軒」の伝承にもある。海や川の水害で町ともいえるほどの広い集落が丸ごと消えてしまった歴史は日本のあちこちにたくさんあったのだろう。

次に意外だったのは、洲崎神社はもともとは道の真ん中にあったという話。
近年になって(明治37年)横浜・金沢間道路改修で移動。

ずっとすぐ近くに住んでいたが、今まで何も知らなかったという事が不思議な気分にさせられた神社でした。

洲崎神社由緒

当社は元は冨岡村と柴村との間の、長浜と字せる所にあり。
現今は野口記念館のあるところにて、昔は十八町も海に突き出し、今に「長浜千軒」と口碑に残れる程にて、人家稠密し、殷賑を極めしが、応長元年(1311)激浪のため洗い滅ぼされし住民の一部、本村に移住す。
よって産土神たる鎮守六天社も同時にここに移し造営す。

現在の社は、天保9年6月12日の再建にして明治維新の際、神仏混交を廃せられ「洲崎神社」と改称す。

社の鎮座地は他の神社と異なり、古き頃より家津良町道路の真ん中にあり、誠に珍しかりしが、明治37年2月9日、横浜・金沢間道路改修につき現地に移転す。

明治40年12月、県の訓令第49号により、41年11月境内の拡張をし42年5月拝殿を増築し、社殿完成す。

明治43年8月15日、本村泥亀(でいき)鎮座・村社・日枝神社(祭神:大山咋命)同末社・稲荷神社二社(祭神:倉稲魂命・大田命)合併許可。
大正3年3月24日、同泥亀、姫小島無格社・十二天社(祭神:磐長比売命)を合併、大正10年12月16日神饒幣帛料供進神社に列せられる。

(案内板より)

境内社・天王社

祭神:速須佐之男命(ハヤスサノオノミコト)

元は町屋村と共同祭事を行い来りしがため、洲崎龍華寺前天王河岸に地をトして検所となし、小社をおけり。

文化6年両村協議の上、牛頭天王を二社に分かつ。

文化14年正月摂院の境内の一部を天王地と定めてここに移転造営す。
(案内板より)

あまり古い時代のものではなさそうだが、全体のバランスの調った姿の良い狛犬でした。

頭部に比較して脚部の華奢な感じのする灯篭
境内が狭いので、鎮守の森はありませんが、この一本だけ孤高を守っているような木が妙に気になって・・・。
寡黙なおじいさんのようでした。

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