瀬戸神社 (せとじんじゃ)|旧社格郷社

<御祭神>
主祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)
配祀神:速須佐之男命(はやすさのおのみこと)/菅原朝臣道真公

横浜市金沢区瀬戸18-14

私が子供の頃から一番慣れ親しんだ神社といえば、この瀬戸神社になる。中学も高校もここからすぐ近くに通っていた。背後に鎮守の森を背負っているが、実はその森も道路拡張や再開発で削られて、今は後ろに回るとたちまちダイエーやサニーマートのショッピングモールが続く近郊都市の風景に変貌する。

高校に通っていた頃はこの森の後ろにあった昼なお暗い細い道が大好きで、ここだけは変らないでくれたらな・・と思っていたが、今回行ってみると既に全く別の町のようになっていた。

しかし、正面からの巨木の緑が鬱蒼とした雰囲気はまだまだ健在で、瀬戸神社は相変わらず金沢八景のシンボル的存在だった。

由緒沿革

<御祭神>
主祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)
配祀神:速須佐之男命(はやすさのおのみこと)/菅原朝臣道真公

合祀神:徳川朝臣家康公/伊邪那岐命(いざなぎのみこと)/伊邪那美命(いざなみのみこと)/速玉男命/天照皇大神/倉稲魂命(うがのみたまのみこと)/菊理比売 命/木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこ)/味耜彦根命/建御名方命/猿田彦命

由緒

大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入り江でした。この入江と平潟湾とは、今の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました

そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところとであるとして、豊かな幸をもたらしてくれる神々をここに祀りました。

これが瀬戸神社の起源で、発掘された祭祀遺物などから古墳時代に遡るころと考えられます。

鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊をこの「せと」の聖地に祀り、篤く信仰しました。
社殿の造営も行われ、今日のような神社の景観が出来上がったのは概ねこの頃のことです。

以後、金沢(六浦)の地は港町として発展し、鎌倉と関東一円を東京湾や利根川を水系利用して結ぶ水上物流の集散地となりましたから、執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また関東管領足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。

ことに江戸時代には徳川家康は社領百万石を寄進しています。そして武家のみならず、名勝金沢八景の中心の神社として江戸の町民にまで広く崇敬者はひろがり、文人墨客も多く訪れました。

明治40年郷社に列格、戦後は宗教法人となり神奈川県神社庁献幣使参向指定神社となっています。
現在の社殿は寛政12年(1800)の建造、御屋根は昭和4年の葺き替えになるものです。

向かって左横から見た拝殿
向かって右横から見た本殿

御神穂(御利益)

主神:大山祇命(おおやまつみのみこと)

大山祇命は伊予国(愛媛県)大三島の大山祇神社、伊豆国(静岡県)三島大社の祭神と同神で、港の神、海上渡航の神、交易の神として古来より信仰され、交通安全、旅行安全、商売繁盛の守護神として知られています。

また同時に、そのお名前の通り山の神であり、森林そして水源地を司られることにより人間の生命に直結するお働きを顕しておられることはもちろん、金属・岩石・木材・鳥獣・草花などの建築資源・生活資源の多くはこの大神の恩恵によるものです。

また、娘神である木花咲耶姫を天孫瓊瓊杵尊の后神とされ、木花咲耶姫の御生みになった御子神が、いわゆる山幸彦・海幸彦にあたります。
ですから縁結び・安産の神でもあられますし、皇室の外戚となられた国つ神の代表として国土の経営にも御功績を現わされた調和のある国土開発、国家安泰の神でもあらせられます。

配神:速須佐之男命(はやすさのおのみこと)

速須佐之男命は天照大神の弟神ですが、八岐大蛇を退治した神様であることで有名です。自然界や人間界の罪やけがれ、病気や邪悪なものを追い払い、人々の苦しみ、悩みを除いてくださる災厄消除・病気平癒・破邪顕正の神様です。7月の天王祭には大神輿で氏子町内をくまなく巡幸されます。

配神:菅原朝臣道真公

天神様とも呼ばれる菅原道真公は、学問、書道の神であるばかりでなく、誠実・忠節、清廉にして勤勉の神様でもあります。

境内社

<摂社> 
琵琶島神社:市杵比売命

<末社>
青麻宮:大己貴命/少名彦命
右末社:大雷神/高龗神
左末社:石長比売命/木花咲耶比売命
祖霊社:氏子・崇敬者の祖霊

琵琶嶋神社

瀬戸神社の前の国道16号線をはさんで正面向かいに平潟湾に突き出た形に陸続きの島があり、道路に面した鳥居からは松並木がつづく。
先端の部分は弁天島といい、瀬戸神社境内社の琵琶嶋神社がある。

祭神は市杵姫命で、通称は弁天様と呼ばれています。
音楽・技芸の神様で金沢七福神の一つです。

この社は頼朝の妻政子が、近江(滋賀県)の竹生島弁財天を勧請したものですが、立ち姿の御神像と頼朝・政子が流人の身から征夷大将軍に立身出世したことに因み、立身弁財天と呼ばれています。

また大桟橋状の堤の先端に鎮座していることから舟寄弁財天の呼称もあり、立身出世・千客万来のご利益があると言われてきました。

また頼朝・政子が夫婦協力して幕府の基礎を築いたことから、夫婦円満・大願成就の御神徳も顕されておられます。
              
琵琶嶋神社参道の入口にある大岩は「福石」と呼ばれ源頼朝が瀬戸神社参拝のおり、平潟湾の水で禊をしたときに衣服をかけた石で服石と呼ばれるようになったという。
また、この石の前でものを拾うと裕福になるといわれ「福石」と呼ばれるようになった。

瀬戸神社の南方、入り江を隔てた約150メートルのところに所在する昇天山(飛石山)金龍院境内にある「飛石」は、「新編鎌倉志」などに、「昔、オオヤマツミの神が伊豆三島から飛び来てこの石の上に降り給うた、それが瀬戸神社の起源だ」と記されている。
称名寺にある美女石・姥石、そして飛石と、この琵琶嶋神社の福石で、金沢四石という。

青麻宮

祖霊社

左末社

左末社と菅原道真坐像

右末社

右末社とその隣に本殿

蛇混柏(じゃびゃくしん)

境内入ってすぐ左の玉垣のもとに横たわる古木は・・・・・

文明18年(1486)萬里和尚の詩の自註に「六浦廟前有古柏屈繁」とあり、延宝8年(1680)8月6日の大風に転倒しても朽損せず、新編鎌倉志・江戸名所図絵などにも「蛇混柏(じゃびゃくしん)」と称した名木で、金沢八木の一つである。一部は本殿内陣の御扉材に使用されている。

木造守門神坐像

拝殿のなかには、南北朝時代あるいは鎌倉時代末期のものとされる木造の守門神坐像が二体あり、それぞれ「阿形像」「吽形像」といい、大変貴重な遺品として横浜市指定有形文化財とされている。

陵王・抜頭

陵王・抜頭の二面の「舞楽面」は平成12年に国の重要文化財の指定を受けました。
源頼朝愛用の面を北条政子が寄進したものと伝えられる鎌倉時代の名品です。

<陵王>

<抜頭>

主要な祭礼と行事

「瀬戸神社略縁起」より

正月元旦の午前零時、御神前で鶏の鳴き声をあげて新年を迎える「鶏鳴神事」と呼ばれる古式ゆかしい行事があります。

3月21日は新年祭に併せ、合祀神例祭です。明治時代に瀬戸神社に合わせ祀ることとなった東照宮、皇大神宮、熊野社、稲荷社、白山社、浅間社、諏訪社、日光社、山王社の祭神の例祭です。

5月15日の例祭には、献幣使が参向して祭典が厳かに行われた後、お神輿が琵琶嶋神社まで渡御します。琵琶嶋神社前でしばらく止まり、古式の神楽が神職によって奏されます。
7月の天王祭は氏子町内挙っての8日間にわたる盛大な祭りです。
第一日は出御祭。お御霊が神輿にお遷りになります。
それから三日目の晩に行われるのが「三ツ目神楽」です。「鎌倉神楽」「湯花神楽」または「職掌神楽」とも呼ばれる古風な湯立の神楽が夕刻7時から行われます。

神職が釜の湯を御幣でかき回す時に湯花が立ちます。また笹を湯につけて参列者に振り掛けます。

最終日は神輿の町内巡幸です。各町内でも屋台・山車の上でお囃子が賑やかに打ち鳴らされ、大人・子供の神輿で終日賑わいます。

11月23日は新嘗祭です。その年の収穫感謝とともに、新年への生命力更新を祈念します。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

境内あれこれ

神社入口付近。

大灯篭
狛犬
台座と足に施された彫り物が美しい

木陰を求めてちょっと一休みする人々・・・瀬戸神社はどんなに周辺がめまぐるしく変ってしまっても、かわらぬ存在感でそこにあった。

コメント