御祭神:火雷神之命(ほのいかづちのみこと)
横須賀市追浜本町一丁目
雷神社天王祭 写真集 (2009年 7月12日)
その1
その2
その3
その4
その5
夏の祓え・茅の輪くぐり
横須賀市追浜町の京急追浜駅前、16号線を横浜方向へ少しだけ歩くと、国道沿いに大きな鳥居がある。「雷神社」は駅から5分の所に鎮座する追浜の町のシンボルのような神社だ。年々賑やかに盛り上がりを見せる夏の大祭では、この神社を基点として、追浜各町の神輿がくりだし、大変な賑わいを見せる。
私が訪れたのは6月の14日で、この時期には恒例の「夏越の祓え・茅の輪くぐり」が行われていた。
茅の輪のくぐり方は・・・正面より左足から入って茅の輪をくぐり、左に回り輪の外を通って正面にもどる。次にこんどは右足から入って右に回り輪の外を通って正面に戻る。三度目はまた左足から入り左回りに正面に戻り、茅の輪をくぐって本殿にお参りします。参拝が済んだら、そのまま茅の輪をくぐって帰ります。
また、「水無月の夏越の祓いする人は ちとせの命のぶというなり」といううたを三度唱えると良いとも言われています。夏越の祓いは、日常の生活の中で知らず知らずのうちに過ちを犯し、心身に触れたであろう罪穢れを、神の力によって祓い除き、清清しい力を以って生きていこうと祈願する神事です。
鎌倉時代の歌に「風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりけり」(藤原家隆)というのがあり、夏越の祓いのことを歌っています。また小林一茶の句にも「母の分も一つくぐる茅の輪かな」があります。
形代(人形=ひとがた)に名前を書き、病気や痛いところなどをなでて息を吹きかけ、自分の身代りとして罪穢れを移します。
これをご祈祷して頂き、その後(雷神社では6月30日)、お焚き上げをします。
由緒沿革
創立の詳細は定かではないが、朱雀天皇の御宇・承平元年(931)の勧請と伝えられ、鹽濱(しおはま)(字苗割り・築島とも言う)に鎮座していた。(現在追浜町3丁目みずほ銀行裏)
永禄2年(1559)築島に落雷があり、その場にお篭りをしていた12名の乙女たちは柏槇(びゃくしん)の大木が身代りとなって一命を取り留めたという言い伝えがある。江戸時代は奥の院と呼ばれ、昭和35年ごろまでは元宮の社殿が建っていたが、現在は御神木のみ祀られている。
天正9年(1581)時の領主・朝倉能登守が御朱印を賜り現在の地(追浜本町1丁目)に遷座し、宝永4年(1707)9月9日酒井雅楽守(うたのかみ)が武運長久・郷内災難除けを祈願して社殿の再建を行った。
また、寛政11年(1799)7月16日と22日に郷村挙げて雨乞いの祈祷が行われ、御神威が得られたと記録にある。
御祭神
御祭神は、火雷神之命(ほのいかづちのみこと)または火雷之神(ほのいかづちのかみ)で、火の神様にお鎮まり願いお祀りしている。
炎の神様なので、お姿を火雷天神菅原道真公のお姿と信じられている。
また、落雷は天の怒りであると信じられ、祈願する者は心して崇拝しないと天神の怒りに触れるともいわれる。
御神徳は、災難除け・雨乞い・身代り守護・交通災害除け・厄除け開運・海上安全・五穀豊穣・学業成就・合格祈願・武運長久・必勝・心願成就・家内安全・商売繁盛等などで、人の生業にかかわる禍から人々を守っていただけるご利益があるという。
雷神社の読み方は、本来は「いかづちじんじゃ」と発音されるのが御祭神に相応しいのだが、地元の氏子崇敬者たちは「かみなりじんじゃ」と親しみを持って呼んでいる。
古くは「雷電社」「雷電大明神」と記録に見られ、「雷神宮」の扁額が社殿内に掲げられていたと伝えられる。
現在の社殿は、昭和33年3月浄財募金によって再建されたものである。
社宝
天王祭 神輿 二基
(内一基は、文化5年(1808)作の書付存在。須佐之男命を祀っている。7月の天王祭には本殿内に御出座される。同形の新神輿が台座にて氏子中を渡御し、宮元の家で遷御の神事が執り行われる。
拝領纏
文化文政の頃、浦郷陣屋代官松平大和守より拝領の火消し纏。当時纏には「う」の字が記され、大正13年町制施行及び消防制度も部制に改まり「一部」の文字が記されている。昭和37年修復奉納された。
境内社
拝殿左の端に上写真のお稲荷さんが二社ある。周辺にはたくさんの小さなキツネと猫の人形がならび、丸い鏡のようなものが飾られていた。
写真右端は拝殿左後ろの崖の上に岩肌をくりぬいておまつりしてある。社務所の人に尋ねたら、「ヤマトタケルノミコト」を祀っているのだそうだ。オトタチバナヒメの伝説の残る走水の方角を向いて祀られているとのこと。
浜空神社
朱塗りの鳥居のすぐ左。拝殿の下の段に鎮座。
昭和11年11月、富岡(現富岡公園内)に横浜航空隊が開設され、飛行艇隊の守護神として昭和13年『鳥船神社』が創建され奉斎会によってお祀りされていました。
戦後に至り、その戦没者の慰霊のために『鳥船神社』跡地に『浜空神社』が建てられ、戦没者並びに戦後物故者2000柱の英霊をお祀りされました。
殊に、昭和17年8月、ソロモン海戦最前線のツラギに進攻させられた338名の飛行艇隊員は、壮烈な玉砕を遂げ、ここに併せて御魂が合祀されています。
戦後60余年を過ぎ、世話人の高齢化により維持困難となり、追浜航空隊甲飛会のご尽力を頂いて平成20年6月ご社殿をこの地に遷座し、追浜航空隊戦没者・物故者の英霊ともども永遠にここにお祀りすることとなりました。
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