掃部重代の太刀紛失の事
それ、人界にして過去善悪の果報を感じ六通に輪廻する有様、たとえば車の廻るが如しと言へり。
今綾女の如きは貞心にしてよく家を治め情深くして人を憐み、心直にして神仏へ信仰もまた切なりしに、前生の因縁にや愛児を先き立て、その身初老をも待たずして親子共世を去りし事、因縁とは言ひながら、哀れなりし次第なり。
然れ共、今世の果ては必ず来世に報うなれば、後世の果報はまた頼もしくこそ見えし。
掃部は先き立ちし妻子の愛情に心を傷め、鬱々として日を送り、気を慰むる事なければ喜代若を伴れて妻子の廟(びょう)所へ参り経を誦(しょう)し、また心のやる方なき時は、老僧・真禅法印の庵へ訪ね行き、仏法の要文、因縁の遁れ難き事を聞き、仏に香花など手向け、人に会ふ事を嫌ひ引き篭り居りたりける。
ある時、徒然の余りにや、先祖より伝わりし太刀を見て気を晴らさんと、置きし所を見るに二品とも見えず。
さては妻女死去の節、心乱れ置き所失念けしかと細々尋ねけれども見えざれば、助次郎を呼び
「さて妻が病気の節、其方も存じの如く魔魅の障碍もあらんかと二品の宝剣を床に祭り、毎朝之を拝せけに、妻死去のみり、この剣も無用と思ひ、陣羽織に包み袋戸棚に収め置きしが、今見ればなし。若し其方収め申さずや」
と訊けば、助次郎は 「我等かかる事は一向存じ申さず」 と言ふ。掃部眉を顰め、 「さては外に奪われし物か。
誠に大切の宝剣なるに紛失しては残念至極、如何にすべきや」 助次郎は差俯向き、「包み置き給ひし陣羽織は如何に。」
「それは棚の内にありて太刀刀見えず。」
助次郎 「さては旦那の覚え違ひに非らず。察する所、不幸の節人多く来り家内愁傷の時を考へ、彼の太刀刀の在所をよく知りし者、盗み取りたるに違なし。
何様詮議せずばあらじ」 と言へば、しかし、余り騒がしからぬ様に吟味すべしと、主従密議しける処に、三谷村沢右衛門が来り、喪中の挨拶をなし、常の如く掃部の気を慰めんと種々の物語などしけるが、助次郎黙然として、
「さてさて合点ゆかぬ事なか」 と独言いうを聞き、沢右衛門は、何事の候ぞ」 と言ふ。
掃部は 「さればとよ、妻が病気の節、守りにもなりなんと二品の太刀刀を床に祭り置き、死去の節袋戸棚に収め、やがて宝蔵へ持ち行かんと思ひしに、家内の愁傷に取り紛れ失念し、今日蔵に収めんと見るになし。之に依って心配致すなり。」
沢右衛門これを聞きて、 「さては訝しき事なり。金銭に非ざればいくなみに人の盗むべき物にてもなし。また当家重代の宝剣なれば容易く売物にせん事も叶ふまじ。御愁傷にて置所など万一御失念は無きか。」
「いや我も左様思ひてよくよく考へ吟味すれども、包みし陣羽織ばかりありて二腰とも見えず。」
「さては御愁傷にて家内動じ給ふを窺ひ、盗みとりし謀(はかりごと)ならん。
しかし、かく御喪中と言ひ、御嘆きの中に強いて御詮議も如何なり。是はひそかに御館に御願ひなされ、御領主の御威光を以て御吟味下されなば早速相知れ候はん。
何分かかる御愁傷中なるに思ひがけなき紛失まで出来し気の毒千万、我らは独身の事なれば家内に用事なし。
御用あらば昼夜の隔てなく承るべし。」
「沢右衛門が申す処、もっとも至極なり。元来当家は領主様の贔負深く、その上兵庫殿へ勝之助相勤むる上は、方々以てよかるべし。」
早速勝之助を招き委細を物語りければ、始終を聞き、父・助次郎に向ひ、「この度の失物、察する所家内の下郎、または当所の者などの仕業に非ず。
又遠方の盗族にてもあるまじ。
御病人の守りにならんと出し置かるるを知り、類稀なる名刀なる事を知りたる者の仕業ならん。
さすれば当家にて深く出入する者に非ずんば之を知る者なし。其人々を考えるに先ずは我等親子、御姑、美含長の人々、我が伯父・池田彦太夫殿、折々申されし主人大島殿、付ては是に居合わせし沢右衛門殿、此の外はさして奥まで行く人なし。
又如何なる名刀を祭り置かれしとて内証の事なれば、之を知る者外になし。ここを以て詮議あらんには犯人は見つかり申しべし。」
しかと沢右衛門を後目(しりめ)に見、言葉を放って言ひしは、若年の眼には鋭きものと見えし。
それより勝之助を以て兵庫殿まで願ひしかば、兵庫始終を聞き、 「かかる笑止こそなけれ、掃部去冬は嫡子を失ひ、近頃妻子を先き立て愁傷添ひし上、宝物まで紛失せし事、歎きの上の心配、気の毒至極なり。
その失たる日は何時頃なるぞ、確と覚えありや否や。」
「されば綾女掃部殿此の太刀刀を床に置き毎日拝せしが、死したる日に及んで袋棚に収め置きしなり。
葬式と愁傷に失念し、今日八日目に右の太刀刀を宝蔵に収めんとせしに陣羽織は其の侭ありて、二腰は見え申さず。」
兵庫、眉を顰め 「さては失物容易に出候まじ。察する処、掃部に日頃安く出入する者にあらんか。
しかし夜前か一時夜の事ならば早速詮議の手筋もあるべし。八日に至るまで心付かずとあれば盗取りたる者、早深く隠し、詮議にあはん時、容易に見出さるる様なる所へはよも置くまじ。
又、これぞと察する者を拷問せんは易けれども、さする時は掃部の類門、ならびに出入せし者、同様に詮議せずんば贔屓の沙汰と言ふべし。
たとへ、これぞと察せし者にても確の証拠なくして万一外の事もあらば非道の沙汰となるべし。
先ず事を急がずしてよくよく世間を聞き調べなば、金銀に非さる故自然に現はるる事ありなん。
掃部喪中といひ、厳しく詮議も然るべからず。汝は早く所々の城主へ密々に手筋を以て此の旨を通じ候へ。
主人へ申上るに及ばず、其方ひそかに所々を馳せ廻り、怪しき事もあらば我等に知らせよ。先づ、隠密の詮議よかるべし。」
とある故、掃部之に随ひ、当分は打ち捨て置きけるとぞ。
三谷村沢右衛門の事
さてまた三谷村多知見沢右衛門と言ふ者あり。
彼の父は多知見藤弥とて、当国、気多郡、上の郷の館主・赤木丹後守と言ふ。山名に仕へし者なり。
気質,悪しくして、諸人に憎まれ、その上、少し落度あって浪人し、所々方々さまようといへども、梟、鳩に合うの譬えの如く悪生のものなるが故、一身をよする所なくして、かく山深き里に住し、弓をよく射る故、里人かれに鹿、猿を射させ、山家山家を徘徊し、猪、鹿、野鳥の類を射とり、これを渡世の助けとせり。
先き立って卒せし子二人あり。
兄は男子にて今の沢右衛門なり。次は女子にて牧女といふ。親子三人、困窮の渡世に苦しむ。
梟(ふくろう)鳩に逢ふの譬え
梟あり、鳩に逢ふ。鳩が曰く、「汝は是より何所へか行く」
梟、答へて曰く、「我は之より東の方へ移らん」と。
鳩が曰く、「如何なる故ぞ。」
梟また答へて曰く、「郷人が皆鳴く声を嫌ふが故なり。」
鳩は曰く、「汝、鳴く声を改めればよからん。鳴く声を改める事能はずば、たとへ東に移るとも尚、 汝が声を悪まれん」と言へり。
是は人間が悪性を改めざれば何方へ行きても人の悪むと言ふ譬(たとへ)故、聖人の教へに切磋琢磨をなして悪を去りよく道に叶ふことなりとあるなり。
今、多知見藤弥の如きは之に等し。
藤弥相果てし後、子息沢右衛門、妹を京都の公家へ奉公に遣はし、独身にて暮らせしなり。
沢右衛門は父・藤弥と違ひ、面体柔和にして人の気を破らすよlく人交る。
然けれども内心は佞奸にして邪智深く、父に勝りし性質なり。されども謀計者なれば深く是を隠して顕さず。
人に心直者と思はせ、掃部の家に来り用事あらば実意に見せて懇に勤め、よく掃部の気をとり諸人の心に随ふ故、或時は五日三日止まり居りたり程なり。
先年掃部の家に強盗入り込みし節、盗人の中に珊瑚の文鎮を所持せし由を知らせ、掃部の恵を受けしより深く懇意を尽くし、当時は家内の者同然に交はる。
先達の強盗も内々彼が手引きなれども、即座に残らず殺されし故、是も知る者なし。
掃部は妻子に別れてより日数積れ共、愁傷深かりければ助次郎之を案じ、主人未だ五十才に満たず、何卒よき後妻を薦めなば自然と鬱気も晴れなんと、諸々方々を聞き合せ内々進めけれども、掃部一向承諾なく、
「妻、病気の節、かかる事まで申して我が心を慰め若し世を去らば早く後妻を迎えよ等と、言ひし事、常々の貞節と言ひ、死後までも我に実義を立てんとせし志を思へば、内々後妻等娶りて喜代若を継母の手にかけん事、思ひも依らず。この事のみは再び言ひ出し候な。」
なと、堅固に言ひ切らるる故、助次郎も詮方なく数月過ぎぬれども、掃部の心底に後妻を娶るべき考え少しも之無く察しられければ、力なく、時節を待って又薦めんと思ふ中、或時沢右衛門、助次郎に向ひ、「主人には未だ後妻の沙汰はなかりしか、然るべき事もあらば、我も御世話申さんと、折々諸方を聞き合はせ、是ぞと思ふ方一両人思ひ当りし故、薦め申さんと思ふは如何」
「さればとよ、拙者もこの事心にかかり、折々勤むれども、先妻の義理を忘れず一向承認なし。さるに依って、是非なく今まで時節を待ち居るなり。」
「いか様当家の先妻の如き女性は、たとへ近国を尋ねる共、並ぶ者あり難し。ここに一つの思ひ付きあり。改めて後妻と名付けず、品良き女を何となく抱へ置き給はば、当国の主人たりとも、岩木ならねば、自然と心移り候はん。」
「成程よき思ひ付なれども、日頃義堅き御方なれば、かく寡となりてよりも常に下女等へさへ夜の床をとらせず、拙者と喜代若殿へ言ひつけられ、仮にも女等に戯れらしき禍なし。
然るに顔良き女等抱へなば、それと知っていよいよ義堅くなられん。何ともすべき様なし。」と言ふ。
沢右衛門、差し俯き暫く思案の体に見えしが、助次郎が方近く差し寄り、
「如何様申さるる通り一方ならぬ気質なれば、この思付も詮方あるまじ。
我つくづく当家主人の行末を案ずるに、最愛の妻子に別れを悲しみ鬱々として月日を送らなば、終には病を出されん事も計り難し。
近頃、御鬱気の故か殊の外顔色も悪しく案じ参らするなり。御存じの通り、我等独り身にて便るべき方もなく、当家の御世話に預る事限りなし。
我が力の及ぶ限りは何卒御為にならんものと心に掛け候へ共、愚昧の上、身貧にして役に立つべき力なし。
引き続きたる御災難を我が身の上の様に思ひ歎かはしく存じ候へ。されは某少し思ひ付きし事あれ共、申し付けて憚りあれば所存の趣我が口より言ひ出し難し。」と言ふ。
「言ひ難き事とは何事なるぞ。何れの道にても為よき事あらば遠慮あるまじき。承はらん。」
「されば此所へ来り給へ」と片陰に招き、「我が思ひ付の事故、申して見るばかりなり。聞かせて勤め申すに非ず。拙者一人の妹あり。
八ヶ年以前、京都のさる御公家へ奉公に遣はし置きし故、主人や其許は見られし事なし。
我が妹なる故、決め申すには非ね共、生れ付人に勝れて智恵の聡き者なりし故、当国の館主方より妾奉公等に望まるるといえども、元我が父は武士の果、如何に身貧なりとて人の妾奉公等致させては亡父の心に叶はずと思ひ、十六歳の歳、都に奉公させ、当年二十四歳なり。
我等とて一人ある妹を遠方へ置き候も、力なく不憫に思ひ候へども、未だ独身の我家へ取戻し置いては却って他行の邪魔と思ひ、よん所なく当年まで打続き置きしなり。
先達も便りに文を下し候ひしが、未だ縁にもつかず故郷へ帰り度き由申し越し候。元来公家の内へ奉公せん上は行儀は勿論、諸種田舎の女とは相違あるべし。
されば彼故郷へ帰り度頼むよしにて伴れ帰り、独身の拙者なれ共、妹一人に他行の留守等させ置き難き旨を申して当家へ預け、兎角の世話など致させなば、自然と主人の心に叶ふまじき者にも非ず。
然れども拙者が妹なるが故、身の勝手を申す様に思はれん事を傷み、我が口より言出し難しと申せしなり。」
助次郎、委細を聞き、
「成程尤もなる思付なり。さりながら其許(そこもと)迷惑とならん。
この儀は如何や。」
「御用にたたずは其の時又都に上らさんに何の仔細の候べし。始め若年の時たりしだに何事もなく是まで勤めし身の今、年たけ都の様子をよくよく心得たる上は何の気遣ひ候はん。之等の事は案じ申すに及ばず。」
助次郎は一筋に掃部寡(やもめ)となり心淋しげなるを気の毒に思ひ、尚此の女公家の内へ奉公せし者ならば、行儀は勿論、萬女なり諸禮まで心得ぬらん。その上公家は優しく柔和の者なれば、是を見習ひ心も素直なるべし。
若し家風に合わずば沢右衛門が申す如く、京都へ上らさんに仔細あらじ。
彼常々当家を主君の如く大切に思ひ、懇意を尽す事深し。其の妹なれは旁々以てよかるべしと思ひ、「そこもとの懇切かへすがへす忝し。末の事計り難けれども、今申さるる通りならば幸の事と思はれ候故、ひそかに上京し様子を聞き給はり候へ。
若し主人の心に叶ひ、当家の世話致す様になる行かば互に安心すべし。何様本人帰らねば言ひ出す事も出来難し。」
「さらば早速上京し、様子よくば一応伴れ帰るべし。其上にも当家の役に立申さずは再び上京するとも苦しからじ。近日発足致すべし。」
と、暇乞いして帰りける。
沢右衛門上京の事付 池田勝之助太刀刀詮議の為諏訪明神へ祈願の事
されば沢右衛門は妹を呼び出さんと急ぎ上京の用意をなし、心にかかることありてその日明るを待たずして、夜半の頃に在所を発足す。
さてまた、池田勝之助は紛失せし掃部重代の太刀刀を尋ね出さんが為、所々方々、馳せ回り、武家町家、差別なく、種々の手立てを回し尋ねけれども、之ぞと怪しむべき事なければ、すべき様なく月日を送り、うつうつ思ふ様、我かくまで之を尽くし吟味すといへども、一向手ががりなし。
此の上は明神の力をからずんば叶ふまじと、氏神・諏訪明神へ毎夜丑の刻と思ふ頃、身を清めて参詣し、之を祈る事七夜に及びけれども何の告もなし。
さては我が念力明神に通ぜざるにや。
是非もなき事かなと思ひ乍ら、神前を拝したち帰らんとせしに、社の側より大きなる狼一匹現はれ出でて、東の方へ向かひ三声啼き勝之助を見る。
眼の光り輝くこと、星の如くなり。
勝之助少しも動ぜず心の中に思ふやう、今に東南の方に向かひ声を揚げて啼きしは仔細あらんと思ひながら、彼の方を見るに、狼は掻き消す如く失せたりける。
然れ共、之を語りし事もなく、神拝をなし下向せり。
勝之助は智謀賢く、失物の儀に付ても心中、沢右衛門を疑ふ心ありといへども、掃部始め、父・助次郎、沢右衛門を又となき者のやうに思ひ、入魂せしゆえ、この度の事、勝之助は夢にも知らず、なおざりに捨て置きしは残念なりし次第なり。
沢右衛門は急ぐに程なく丹州亀山に着き、或る旅籠屋へ宿をとる。
一人なれども見苦しからぬ身振りに帯刀せし故、宿も粗略には思はざるにや、裏なる別座敷に案内す。沢右衛門、足袋装束等片付け休息せり。
沢右衛門山伏威妙院に遇ふ事
さて、沢右衛門は一人なれば心淋しく休息し居りたる所に、姿よき山伏、一人の家来を連れたるが、是も此の宿に泊りしを主人案内して沢右衛門の居間へ通す。見れば年三十ばかりにて天晴なるじ人体に一人の供を連れたれば、同室苦しからずと、一応の挨拶をなし、我が側へ招き、
「貴家は何所より何方へ御通り候ぞ」
「伯州汗入(あせり)之郡(こおり)岩根と言ふ所の威妙院といふ修験者なるが、此の度官位の為に上京すなり」と言ふ。
「拙者も要々ありて都へ上り候が、独り旅にて徒然に候へば、明日御同道申さん」
「如何様不思議の縁にて同室に一宿仕る事、是も因縁なり。我等も家来一人にて道中淋しく候へば御同伴下さるべし」と。
之より打解け四方山の物語りして、互いに鬱を晴らしける。沢右衛門は太刀の霧など拂ひ片脇へ置かんとせしを、山伏、沢右衛門が太刀へちらと目を付け、
「失礼ながら、貴公様の帯刀を見うけ候。世の常ならぬ天晴なる御拵かな。寸時拝見致させ下さるべし」と言ふ。
沢右衛門、冷度(ぞうと)せしが、さあらぬ体にて、
「いや、御目に掛ける様な品に非ず。御免あれ」と言ふ。
「是非拝見致させ下さるべし」と願う故
「ならば御覧候へ」と差し出す。威妙院よくよく見、恐れ入りたる面色にて、
「誠に御嗜(たしなみ)天晴なる御拵(こしら)へ哉。定めて内刀(なかみ)は名刀ならん。とてもの事に拝見御許し下さるべし。拙者元来太刀刀の類または拵等仕立て候事を好み慰み、かたがた内職に致居候故、善悪の差別少しは心得たる事も候。それ故、失礼をも顧ず拝見を願ひ候なり。御許し下さるべし」と言ふ。
沢右衛門、底気味悪sく、胸先の動気静まらず苦しく思へ共、俄に断りも申されず
「さらば御覧あれ」
山伏、太刀を五・六寸抜き、恐れ入りたる風情にて押戴き
「実に金色地肌、切刀の様子、世の常ならず、いかにも珍しき名作哉。銘は何と候」と問へば、
「宗近なり」と答ふ。
「さては推量に違はざるもの哉。是ぞ聞き及びたる名刀なり。古今に名刀多しといへども、宗近に勝りしは無し。もと此の鍛冶、都三条に住みし故、三条小鍛冶宗近と言ふ。我等度々大峯に登山せしが、山路遥に登りて宗近の太刀屋敷と名付け、今にその跡あり。
精進潔斎して太刀を鍛へし事あり。誠に勝れし名人たる上、神仏への信仰またかくの如くなれば剣徳の勝れし事、世に類なし」と賞賛せり。
折節下部は宿の勝手に行き、只両人なりしが、沢右衛門あたりを見回し、
「かく名刀なる事を見届けらる。上は、委細の訳語り申すなり。あなかしこ、人に漏らし下さるまじ。拙者儀は但馬山名幕下の小名に仕へる者なるが、主人武勇の誉あって太主山名公より此の太刀を拝領せられしなり。
然るに主人武芸に勝れし者なれども、身貧にして金銀の貯なし。又心に叶ふ具足を持たず、太刀は此の外に心に叶ふ名作を持てり。されば此の太刀を金子に代へよき具足を求め度き存念にて、密かに拙者に申し付けられしなり。
然れども太主より拝領せし太刀を売払ひし事、万一太主に聞こえなば、君の賜物を軽々しくせし罪のがれ難し。決して外へ漏れぬやう深く我が姓名を隠し、又但馬侍等言ふ事をも口外へ出すべからず。遠国より持参せし由にて汝能々計らへよと、返す返す申し付けられしなり。
されば但馬の侍宗近の太刀を都へ持参し売払ひし等風聞に逢はば、我は切腹せでは叶ふまじ。我が一命惜しむに非ざれども、主人の身の上大切なれば、かかる密事を打ち明けて申すなり。
決して口外へ出し給はるまじ。此の事、深く頼み入る」と誠に余儀なく言ひければ、
「さては大切なる御密事なるを、かくとも知らず拝見を給ひしこそ気の毒なれ。我は修験にて仏神に仕える行者なれば、人の為になるべき事こそ身を尽しても為すべけれ、かかる大事を承る上は、貴名や御主名の害になるべき事ならば、假令一命を果たすとも、此事は口外へ出し候はず。御心安く思召し給ふべし」
沢右衛門、始めて動悸治まり人心地になりけるが、心の内に思うやう、我れ計らずもこの山伏に逢ひ名刀なる事をしれり。察する所、此の者よく刀剣の善悪を知れり。我は如何程の価やあらん其の価を知らず。
何卒天国の短刀をも見せて其の良否と価を聞き度きものなり。かほど堅く口留せし上は、よも他言は致すまじと思案を廻らし、一つの謀を案じ出し、山伏に向ひ、
「一樹の蔭に休らひ一河の流れを汲むも皆是他生の縁と聞きしに、かく始めて御付合申せしより計らずも身の大事を打開けて語る事、なおざりならぬ因縁とこそ存じ候へ。
此の上は某打解けて密意を明かし物語申すなり。主人此の外に一腰の短刀を渡されたり。是は先祖より代々主家に伝来せられし守刀なりしを世に珍しき刀なりとて、大主の奥方聞き及ばれ、差上ぐべき由仰せられしを、主人の父・深く之を惜しみ、先代に紛失して当時之無き由申上げられける故、人に見られん事を恐れ、深く隠し置かるといへども、後年に至り人の目にかからば、我が父大主を偽りし咎、遁れ難し。かく禍の種ともなるべき者は子孫に伝へまじ。
されば此の度此の太刀と共によき価にもならば売払へよと言付けられしなり。是も宗近の如く主家に対して訳あらば、世間に漏るれば尚以て害となるべければ、よくよく心得べき旨堅く主命を蒙りしなり。
誠に主人の密事なれば、拙者が為には一命にも代へ難き大切の役儀故、口外へ出すも憚りありといへども、貴客の御心底堅気の御胸中を推察致し候。何卒此の短刀の真偽を御目利下さるべし」とて、錦の袋より白鞘の短刀を取出す。
威妙院之を見るに鞘の上に天国(あまくに)作の書付あり。抜き放してよくよく打ち眺め、又鞘に納め袋に包んで押戴き、
「是は世に稀なる珍剣かな。斯かる名作を伝来せる御貴君の御主人は天晴なる御家筋にてましますらん。然るに今この宝を売払はんとの御事いたはしくこそ候へ。
貧は諸道の妨と申す事の候が、勇に秀でし武士も貧の道は是非なき事あり。此の天国の作は天下の宝剣にて、守刀には此の上あるまじ。是我が朝太刀の元祖にて、作者も亦最上の名人なり。神代の昔より人皇に至りても、天国までは剣と申しても両刃なるを用ひしに、天国は名人なる上両刃の剣ならざるを考へ、剣を二つに断ちて片刃とせり。
今の太刀是なる故、之を元祖とす。されば此の天国の作には剣と刃との二品あり。昔皇十五代神功皇后三韓を攻め給ひし時、皇后は天国の御剣を帯し給ひ、武内大臣は真剣の剣を帯して新羅、済、高麗の三韓を従へ給ふと言へり。
其の後かの御剣九州宇佐八幡宮の宝殿に納まりしとかや。かかる無双の名作なるが故に、末世不徳の凡人此の作を所持するならば、剣の威に恐れて祟りを受けると聞く。誠に不思議の御縁によってかく名作を拝見するものかな」と、賞美しければ、
「我も名刀とは聞き及びしかど、か程のものとも思はざりしに、貴客に逢ひし故深く因縁を聞きしは、我が仕合せなり。貴客は都に上り給ひて数日御逗留ありや」
「いや我等この度の上京は官位の為ばかりなれば、四・五日ならでは滞留仕らず」
「さて、打ち入って貴客に御頼み申し度事あり」
「御頼とは何事なるぞ」
「されば某事元来田舎侍にて、京都の不案内なるにかかる隠密なる大切の仰を蒙りし故、種々御断り申上ぐるといへども、汝が外に申し付る者なしとの主命なれば、是非なく父母妻子へも深く隠せしなり。
此事世間に漏れなば拙者は勿論、第一主人の御家に関はる大事なれば、殊の外心配致し候なり。都にて我が面体を知る者なしといへども、代に稀なる太刀刀を商はんとせば、自然に人の風聞に遇はん。又此の密事第一に隠したきは、但馬の太主山名公御内の人なるに、山名公は将軍の出頭の太主なれば、室町は言ふに及ばず家臣洛中に多からん。
我深く之を恐るるなり。されば此の太刀刀、貴客の物と言ひなし、武家には見せずして町家の商人に御見せ下されば、よも知る者あるまじ。
此儀を御頼み申度候なり。若しよき価になりなば、貴客へは厚く御礼申すべし。又この儀に付、たとへ幾日都へ御逗留ある共、御主従の御雑用拙者賄申すべし。かく申せば不正の品にてもあらんかとの御疑もあるべきなれども、此儀に於ては神仏に誓ひ偽申さず。
何を申すも主人の為故、御願申すなり。不思議の御縁にてじっこんに相成り、その上、太刀刀の因縁まで申述べ、主人の密事を打明けて御物語り申す上は、是非頼まれ下さるべし」と只管頼みける。
威妙院訝しとは思へ共、謀言とは知らず、沢右衛門が申す言葉ももっともらしき事なれば、かほど頼むに断りも成り難く、その上天国の短刀は我が身も望みあれば、価により求めたく思ひける故、
「成程貴君様申さる通りならば、表向に武家方へ晴れがましき商なり難し。併しか程の品を御世話申すならば、疑ひ申すには候はね共、御主名と貴公様の御住所御姓名委しく聞き届け、確かなる事を会得せし上は、品により行き届かず乍ら御世話致して見候はん」と言ふ。
「成程御尤の事なり。か様に御頼み申す上は、御尋ねなく共此方より委しく主従の姓名名乗り申候ふべし。主人は但馬気多郡高嶋と申す所の小名・和田内膳と申す山名公の幕下なり。拙者は鹿嶋伝重郎と申す者なるが、父は鹿嶋民部と申す小身の者に候へども、老人故、諸士頭となり居候。
此の度の役儀は主人の事ながら恥かしき密事故、拙者へ只一人の供さへ付けられず、か様に物語申すも面目なく候」と言ふ。
「此の上にも御疑ひ給はらば御帰国の節、但馬へ御訪ね下さるべし」
と、跡形もなき事を水の流るる如く口に任せて言廻しける故、威妙院偽とは思ひ依らず。
「か程委しく物語り承る上は、何をか疑ひ申すべき。御主人君へ忠義の為とならば、愚味ながらなるたけ御世話致して見候はん。我等修験の身と言ひ、遠国の者なれば、隠し商には幸の事なれども、売物と申す物は、之に限らず、望む相手多く出来てこそ思ふ様に商致しよく候へ、かく何とやらむ上のつかへたる売物なれば、思召に叶ふ様の価には成り難かるべし。
今諸国騒がしき時節なれば、武家方へはればれしく披露ならば、思ひのままに価を得られんなるに、内々にて町家の商人等に払ひなば、たとへ如何なる名剣なりとも、其の身の利得を得んが為、高金にて買ひとるまじ。惜しき次第なり」といふ。
「成程仰の通り隠密の売物故、買ふやうに売り上げ難き事はかねて覚悟の上なり。但し貴客の御眼鏡には如何程位の価に成るべしと思召給ふぞ」
「されば大名商家に望の方あれば一千貫(今の通用銀十貫匁なり)の価と言ふとも苦しからぬ太刀なれども、内証にて町家の商人等に売払ふ時は、十分が一・二の価格なるべし。今此所にて何程と言ふ事知れ難し。何分貴公主従の御運次第なり。」
「さればとよ、我が国元発足の節主人に価の事も内々に伺ひし処、太刀刀両方にて三百貫(今の通用銀三百匁なり)にならば払うべし。其の上は掛り口に商ふべし。然れ共、値段よく売上げんとして世上の流布にかからぬやう計らひ申せよと申し付けられしなり。其の思召にて御世話下さるべし」
「京都にて太刀刀の類を取り扱ふ商人少々知りし方もあれ共、何様金子多分に取り扱ふ商人に非ずんば然るべからず。貴公様にも思召の方へ見せ給へ。余り事を急ぎては却って仕損じるべし。明日は同道致す事なれば、道中にて示し合はし申さん」
と、其の夜は此処に泊まりける。
沢右衛門 妹牧女に会う事附 威妙院を頼み、太刀刀売払の事
明れば両人打ち連れ都へ上り、沢右衛門、威妙院に
「貴客の宿所は何方に候ぞ」
「拙者は是迄三條の旅籠屋へ着候。此度も彼所へ逗留すべし」
「我は清水辺に少したよりある故、彼所へ参り候なり」
宿所の名印間違なき様にと互に書付を取り替はし、先づ両人、威妙院が宿所、三條に着く。
沢右衛門、太刀刀を威妙院の前に置き、
「面倒乍ら之をば貴客御預り下さるべし。右の訳なれば清水よりは余程間もあれば持廻るも如何なり」
「仰にて候へ共、未だ昨今の此方なれば、大切の品を預かり申さん事、甚だ気遣はし。貴公様御所持あって一両日の中に御持参あるべし。其の中にはめ口を聞き出し、家来を以て知らせ申さん。貴公様にも思召もあらば御見せなし候べし」
「いや、先達物語り申す通りの訳なれば、我れ侍の姿を替へ貴客の召使の様に執り成し下されば、始終共、心安かるべし。御気遣はしく思召給はば宿の主に預け置き下さるべし」
威妙院、尤もなりと亭主を呼び、
「此の太刀刀はさる隠方より預かりし大切の宝物なり。万一の事あってはならず。其許預かり置き給はるべし」
亭主畏(かしこま)りて二腰共預かりける。沢右衛門思ふやう。誠に是天の助けなるべし。よき者に会ひしもの哉と思ひ、
「拙者は清水へ参るべし。明日御目にかかり候はん」と、急ぎ彼の方へ趣きける。もと沢右衛門、妹を公家の家へ奉公に遣はし置きたりと国元にては披露しけれ共、実は八か年前、清水の茶屋へ十ヶ年限りに勤め奉公に売り置きしが、先達て掃部の太刀刀を盗みとり、之を商して妹を受け出し、金子の余分あらば我が渡世の助にせんと思ひしが、名高き太刀刀なれば当国は勿論、他国にて万一顕はれては大事と案じ煩ひ居たりしに、此の度威妙院に合ひしを幸ひ謀計を廻らし、彼に偽り商させんとせしはよき思案と見えし。
それより沢右衛門は妹の奉公せる茶屋へ行きしが、亭主、沢右衛門に向かひ、
「よくこそ上京ありし、定めし御悦びの事なるべし」と言ふ。
「悦びとは何の事ぞ、妹へ早く対面さえ下さるべし」
「未だ対面し給はぬにや。御用あらば妹御の宅訪ねあるべし」
沢右衛門、合点ゆかず、
「然らば妹は当家には居申さずや」
「さては様子を未だ御存じなきか。去年其許御上京の節、妹御御国元へ帰り度き由、申されしを未だ帰ることは叶はぬ由申され候故、深く恨み居られしが、其の後、さる人に受け出されて、只今、四條の町家へ住居致され候なり。
尤も見受けの金子少々不足ありけれ共、最早勤めも末短く、其の上辛抱に勤められし故、先方へ遣はし申せしなり。
其の節、国元へ此の訳通達せんと言ひしに、妹御此方より便りすべしとの事なりしが、さては今迄国元へ沙汰なかりしや」
沢右衛門様子を聞き、案に相違して、
「さては存じ依らざる次第哉。我此度見受の金調達せし故、連れ帰らん為上京せしなり。さらば彼が住家へ御案内下さるべし」
「さらば案内申さん」と、四條へ伴ひ行きければ、沢右衛門彼女に対面して言ひけるは、
「只一人ある其方へ数年苦労の勤させ口惜しく思へ共、不幸にて金子手回り申さず、よんどころなく八ヵ年の月日を送りしなり。兄の心察し申さるべし。
然るに此の度漸く見受けの金子調達の手掛かり出来申せし故、様子よくば国元へ連れ帰るべき為上京致せしなり」と言ふ。
牧女涙を流し、
「先年清水へ勤め奉公に参りしより、余りに辛き奉公故故郷恋しく思へども、すべき様なかりければ、兄上を怨み怨み日送りしが、去々年上京なされし時、何卒国元へ伴れ帰り下さるまじやと頼みしをつれなくのたまひし故、心の中に怨み候ひしに、今また国元へ伴れ帰らん為御上京下されし事、兄上の御慈悲嬉しく存じ、怨みし事の惜しさよ」と、兄の足の湯等とりて労はりもてなしける。
茶屋の亭主は外に用事あれば暇乞して立ち帰る。
沢右衛門は存じの外の事とは思へ共、外によるべき方もなければ、さらば世話に預からnと座敷へ上りけり。妹酒肴調へ悦べる気色なり。沢右衛門妹に向ひ、
「其方のJ事只一人ある兄妹なれば斯く遠方に置きし事心元なく此の度は是非とも故郷へ伴れ帰るべきつもりなるが、如何思ひ候」となり。
「仰に随ひ帰り度く候へ共、計らずも深き馴染みの方候ひて、去年の春見受けに預り此所に住居候也。こことても貧しき渡世にて心には染まずといえども、深き契りの縁なれば不自由の事は心苦しくも思はず、勤めの奉公に比べては十倍勝りて心易く候故、斯く狭苦しき家なれども御安心下さるべし。主人にて候人も今日は外へ出られ夕方には帰り候べし」
「亭主は如何なる商売をして渡世せらるるぞ」
「我が夫は具足の手入れ等をよくせらるる故、さる御屋敷の具足師の方へ頼まれ、毎日先方の屋敷へ参り候」
沢右衛門、さては此の屋の主人とても心許しはなるまじ。武家へ入り込めば太刀刀の事明かし難しと思ひ、
「其方事、この度国元へ然るべき事あるに付き伴れ帰り度く思ひし処、かく身受けせられし上はちと我が所存違ひに思ふなり。若し渡世格別難儀にて国元に帰り度く思はば伴れ帰り申すべし。尤も金子工面せし上は其方が心次第なり。」と言はれければ、
牧女「兄上の御慈悲有難く存じ候へども、我が夫も相応の人にて候ひしが、我故に余程の金を費し、それ故に親の家も追出され、今は日々の賃餞を得て日を送り申さるるなり。高きも賎しきも女は夫に実意をたて候はねば道に背くなるべし。其の上我が身に金銀を費し身受をして給はりし恩を忘れ、如何なる富家へ縁付き候ひても悦ばしからず。假令如何なる貧しき世をば渡るとも夫へ不義理は成難し。」と言ふ。
沢右衛門了見違ひには成りけれ共、何ともすべき様なく、太刀刀も未だ金子にならねば、少々用意せし路用金は遣い果たし、売物を金子になるまでは心も落ち付かず、越方の物語して居る所に亭主帰りければ、牧女、夫に向かひ、
「今日国元より我が兄上訪ね来り申されし」と言ふ。
「それは珍客哉。先々御目にかからん」と言ふを見れば、人体よく歳の頃三十ばかりの男なり。沢右衛門、主に向かひ、
「拙者は牧女の兄にて候が、ちと此度用事あって上京致し候処、妹儀貴君の御世話に預り、御養ひを蒙り候由、千万忝く御礼申し尽くしがたく候。斯くとは知らずこの体にて参り御世話に預り候」と挨拶す。
亭主悦んで、
「夫は能くこそ御訪ね下され忝く存ずるなり。併し見苦しき住居、甚だ以て恥入候へども、心易く御逗留下さるべし」と、互いに打解け物語して休息す。
明くれば沢右衛門、威妙院へ宿所の違ひし事を告げ知らさんと夜の明くるを待ちかね、妹へ「急用あれば三條の辺りまで一寸参り、追附け帰るべし」と言ひ置き、威妙院が宿所三條へ行き、
「拙者清水に手寄りの者ありし処、去春四條へ所替致候に付、拙者も四條へ宿し候へば、此旨御案内申さん為、未だ朝飯の支度もせず急ぎ参り候」と、我宿所の違ひし事を語りければ、
「それは御宿所近くなりて相談の都合よかるべし。夜前刀商人の事此所にてよくよく聞き合せ候処、商人の者処々に多けれども、尚三條の刀商人に勝れしはなき由承るに付、今朝右の品、当って見度思ひし処、早明に来り給ふこそ幸なり。然らば此所にて一緒に仕度致し候はん。其上同道して参り候べし」と。
かくして両人刀商人の方へ行き、彼の太刀を商人に見せしに、商人よくよく見終り、「誠によき太刀なり。目利きの為に御持参ありしや、又は売物なりしや」
「是はさる者より頼まれし太刀刀なり。よき価にならば、価に依り申すぜし。」
「如何程の価にて御払ひ候や」
「されば望人によりては千貫にもなるべき太刀と存ずれ共、俄に金子入用に付よんどころなく売払はんとの事故、先づ其許より目一杯の所をつけて見られ候へ」
刀屋の主、よくよく見定め、暫く考え、
「さらば至極よき太刀に候へども、かようの品は、よき望人の出来るまでは何時までも所持致すべければ、当時、金子不自由の時節なれば格別高価にては申し受け難し。
また、金子、引替に非ざれば御払ひなさるまじ。一両月の間、代金延引下されば、三百五十貫位までは出し申すべけれども、今日差金にては三百貫ならでは受け難し」
沢右衛門、心を落付け悦べる顔色を見、威妙院、天国の白鞘を出し、
「然らば此の方は如何程に相成るべきや」
商人之を見て、「さても貴君様には珍剣を所持なさえしもの哉。是は格別稀なる作に候へども、拵え(こしらえ)なき短刀の事故、大金にはなりがたし。今六十貫位なれば申受け候べし」
沢右衛門は早く売り度き様子に見えけれども、威妙院、色を見せず、
「成程其許の申さるる所、尤もなり。され共価段と了簡に相違候へば暫らく思案致すべし」
「価段御心に入り申さずや。併し他へ御見せなされて、若し我が付け候価段より下値に候とて又拙者方へ御持参なされても、其の時只今付けたる程の価段には得買申さず。我少し思ひ付のはめ口見当り候故、我が所存より高価に付け申せしなり」と言ふ。
沢右衛門は始より二腰三百貫(今の通用にして銀三百匁なり)なれば、十分幸せと思ひし処、六十貫も価段よく言ふを聞き、威妙院を片陰に招き、
「右の価段ならば御払ひ下さるべし。若し外によきはめ口なき所は詮なし。其の上一日も早く金に致し度き事に候」と。
「左様思召し給はば如何様にも致すべし。併し拙者は此の他に今一応見せたき方あるが故、かくは申せしなり。」
沢右衛門心急ぎ
「いやいや、右の価ならば少しも心残りなし。早く御払ひ下さるべし」
「さらば商申すべし」と、又主人に向ひ、
「とてもの事に商致し候へば、太刀を四百貫に買取り給へ。然らば譲り申すべし。」
商人暫らく思案せしが、
「三百三十貫にて申受け候べし。其の上は望なし。何方へなりとも御見せ下さるべし」
「さらば譲り申すべし」とて、太刀を渡しければ、早速切金三百三十貫を積かけ渡しける。
威妙院、よくよく改め金子を受け取り、
「短刀は如何」と問ふ。
「之も六十貫ならば申受け候はん。其の上は望なし」と言ふ。
「然らば之は明日迄の思案に致し候はん」と、威妙院、懐中しけり。
沢右衛門は宗近の太刀を己が心当りより価段よくなりし故、心中大きに悦び短刀の事は何とも言はず、両人打連れ三條の宿所へ帰りける。
威妙院、沢右衛門に向ひ、
「此の短刀は品により拙者に譲り下さるべし。尤も商人は六十貫と申し候へども、五十貫にて給はり候へ」
「御望みならば価に及び申さず。元来太刀刀共に三百貫位にならば払へよと主人の申付なり。然るを太刀にて三十貫売り上げ給はりしは是偏に貴客の御世話にて、首尾よく御働き下されし故、即時に金子となりし事、拙者が安心、言ふ計りなし。さらば短刀は此の度の御礼に御用立て申すべし。価を申受くるに及ばず」
「いや左様にては我が心に叶ひ申さず。元来太刀刀共貴君の物に非ず。皆御主君の宝と宣ふ。然るに金子入用に付貴君を以て売払はれしは、よんどころなき事に候べし。されば少しにても売上げ主人に渡し給はば忠となるべし。貴君、京都不案内にて我を御頼みなさるゝ故、御世話申せしなり。我等此度官位の為登りし故、五・六十貫の金子をば所持せり。然るを商人六十貫にて買取るべきものなるを五十貫にて申受けし事、本意ならずといえども、金子ありたけ手放し候ひては遠国の拙者主従当惑に及ぶべし。
ここを以て十貫下値の処を此の度の世話料と思召し、我等に給はり候はば過分の御恵みなるべし。されば此度の官位少し延引致す迄の事なり。我一先国に帰りなば、五十貫や七十貫は早速工面致すべし。貴君は又一刻も早く御帰国候はば御主人への忠義となるべし」とて、金子を取出し五十貫積り沢右衛門に渡す。
辞退すれ共承知せず。
「御主君の宝を商ひ、其許私の計らひし給ふは道に非ず」と、言ふにつき、
「然らば受取り申すべし」とて受取りける。
名剣の徳にて魔の障りを払ふ事
さて威妙院は天国の守刀を押し戴き「我等修験者にて捨身とりうの行をなすべき身の、名作なればとて懐剣等望み申す事、如何はしく思召されんが、是には謂(いわれ)ある事なり聞き給へ。
最早二十ヶ年も以前の事なるが、石州津和野と申す所に賢成坊と申して積徳の山伏あり。或時河内の国、金剛仙の絶頂なる魔所に勤行致しゝが、夜半と覚ぼしき頃、木の葉天狗ども近所なる大木の上に飛び来りて言ふやう、「此の麓に心悪しき侍二人道に迷ひ木陰に休息せり。彼等を悩まして慰まん」と言ふ。
「如何にも」と言ふ声して鳶の鳴くが如き声あたりに聞こえしが、俄に天地動揺し物騒がしき事百千の雷鳴り轟くが如く気も魂も消ゆるばかりなり。
彼の山伏は願行にて斯かる所へ座する程の積徳なれば少しも動せず、いら高の数珠を爪繰り観念して居りたりしが、虚空を見れば数万の天狗群がり集る事、風に木の葉の散乱するに異らず。
皆々木上に止まり暫らくあって司長と覚しき天狗「汝等今宵の慰み止めよ」と言ふ。
小天狗共「何とて止め候べしや」と問ふ。
「汝よく聞け。二人の侍の外に一人の伴あるべし。之こそ伯州の安綱よ、此の者一所になる上は我等が魔力忽ちにくじけ飛行の術を失ふべし。斯かる危き所へは行く事無用たるべし」と言ふ。
小天狗共、「さては残念な事哉。両人が帯せし太刀は我等一足にて蹴落すべし。安綱来るこそ恐ろしけれ、此の上は仕方なし」と言ふかと思へしが、又先の如く大山の砕ける如く動揺し、数多くの天狗十方へ飛去りける。
彼の山伏は夜の明くるを待ちかね、麓の方へ歩み下りて見るに、大樹の茂りたる蔭に若き侍二人手に手を取り組み色青醒めて竦み居りたり。
賢成坊声を掛け「方々は何方の人なれば斯かる深山の魔所へ来り給ひしぞ。」
二人の侍言葉を揃へ「我等は当国の領主に仕へる者なるが、昨日野鳥を射んと半弓を持ちこの麓に来りしが、多くの山鳥集まり居る故、射取らんとするに矢当らず、何様得ずんばあらじと、追々奥深く狩り登りしが山鳥を得る事数十羽、之を背にかけ余りの面白さに猶も射取らんと斯かる所まで来りしが、俄に日暮れ候故、後へ帰らんとするに道を失ひ如何せんと此の木の本に休息して、射取りたる小鳥を見れば、鳥には非ずして皆木の葉なり。
さては野狐の類に妖かされしならんと思ひ、斯く山深く入込みしを後悔して居たりしが、是なる家来は少し後れて後にあり、心もとなく声を揚げて呼びしに、遥か麓に答へる声せし故、早く来たれと声々に呼びし処、俄に山動揺し鳴り響くこと雷の落ちるが如く、大地震動すること盆を揺るに異らず、如何せんと思いしに、両人とも身体竦んで動かざれば、命も消えんばかりに思はれし処に、後れたる一人の家来漸く尋ね参りし故少し人心地づき「今の騒動を聞きしや」と問へば、彼は又「さして騒がしき事は聞き申さず、先刻少し風烈しく吹きたるやうに覚へしが、恐るゝ程の事は候はず、早く麓へ下り給へ」と我等二人が山深く登りしを諌め何気なき気色なり。
彼、我等に後る事僅か一町ばかりなりしが、彼は何事も無きに我等両人は今に胸動じ、五体痺れ恐ろしきは妖怪の悩ますならん、助け給へ」と言ふ。
山伏は心の内にて可笑しく思ひ乍ら「一人後れて来しと言はるるは御両人の家来なるべきか」
「如何にも我等が供に連れたる召使なり」
「此の人よき太刀を帯せるや」
「いや見苦しき供脇差なり」。
賢成坊是を見るに錆かへったる曲刀なり。「此の外に何にても刃物の類を持たれしか」。
「如何様我が先祖より伝はる守刀とて、八寸ばかりの懐剣を所持せり。是は我先祖侍なりし時より大切にして身を放す事なかりしと言伝へし故、我等他行せる時、又は斯く山中に入る時は守の為懐中せり」と言ふ。
「一見せん」と言へば、彼の男首にかけたる紐をはずし差出すを見れば、古びたる白鞘の短刀なり。
山伏手にとりて見れば鞘の上に「伯耆国安綱作」と書付あり。抜きて見れば氷の如くなる短刀なれば、さては疑ふ所もなく、夕べ天狗の恐れたるは之なりと、委細の訳は言はずして返しけると、彼の山伏の弟子、我に語りし事あり。
安綱すら剣徳の高き事斯くの如し。天国は又抜群の名作なれば、我之を所持せば假令如何なる深山幽谷の魔所へ入るとも恐れなしと思ひ、斯く官位延引に因て申受けしなり」と語りける。
沢右衛門は威妙院の世話にて金子を得、心中大いに悦び、亭主を呼び酒肴等取寄せ種々饗応(もてなし)ければ、威妙院
「我計らずも不思議の縁に依って斯く馳走に預り、其上名剣を得し事此の上の悦びなし。貴客の用事も片付きたれば、我は一先づ国元へ帰り、重ねて上京すべし。貴君にも御一人の事なれば、斯く金子等所持せらる事、今の時節は甚だ危ふし。御用心こそ肝要なり。
早く御手寄りの方より供人を頼み、帰国あって御主人様へ忠義を尽くし給へ。我は明朝都を発足せん。少々用事もあれば是より外へ参り候べし。
此の後御縁もあらば重ねて御目にかゝる事も候はん。随分御健勝に御勤めなさるべし」と言ふ。
沢右衛門も、「此の度貴客の御世話に預からずんば、即刻に首尾よき商は致すまじきに、偏に御懇志の御蔭故、拙者が幸主人の御為御恩忘れ申さず」と、互ひに暇乞いして別れける。
沢右衛門、京都より女を連れて帰り我が妹と偽る事
さらば沢右衛門は威妙院に別れ、金子を懐中し三條の宿を出で、金のあるまゝ妹の土産物等心の侭に調へ四條へ帰りければ、妹不審に思ひ、
「さらばとよ、此の度上京の連れ三條に居らるに付、寸暇(ちょっと)知らせたき急用ありし故、直に帰るべきつもりにて参りし処、計らざる用事出来し思はず時を移したり。
又其の方の身の上かかる事とは知らず。未だ清水に居ると思ひ何の用意もなく訪ねしが、之へ受け出され夫婦住居せること今日まで知らざりしなり。
さるに依って悦びの為、寸志の品なけれども土産の心持なり。
とて、よき着物一重、帯一筋、又亭主へは切金拾貫文を音物(いんもつ)として差出す。牧女大きに悦び、
「是は思ひも依らぬ御音物哉。夫も今日は珍客の御入なれば屋敷へ断りして饗応申さんと言はれしに、御用事ありとて今朝何方へやら御出ありし故暫らく待たれけれども御帰りなき故、千本の屋敷へ参り断りしと、兄上を尋ねに出られしなり。追付帰りて悦び申さるべし。
如何なる御幸せありしにや、斯かる御音物に預り、夫の手前外聞と言ひ御礼申し尽くし難し」と言ふ。
「さらばとよ、其方の事明暮心にかかり、何卒して斯かる苦労の勤をさせまじと種々に身を砕き、漸く見受の金子工面せし故急ぎ上りて見れば、早受出され人の妻となりし故、工面せし金子何かせんと思ひ、せめて寸志の音物なりとも調へん為、今朝外へ出しなり。
それはさて置き、此度我が隣村宿南の里に高木掃部殿とて富貴の人、妻を失ひ寡にて暮されし故、其の手代助次郎と言ふ人、其方の事を聞き及び、後妻に申受けたき由我等を頼み、金等を工面して此の度上京させられしなり。然るに斯く人の妻となりし上はとても国へは帰るまじ。
されば我は先方へ言訳なし。この事当惑に思へ共力及ばず、元来我等常々掃部の世話になれる者なれば、今度其方を伴ひ帰らねば不義理となりて国へ帰り難し。よき思案はあるまじや」
と言ふ。牧女之を聞き、「それは気の毒なる御事哉」と言って差俯向き暫時思案して居りたりしが、「我が身は右申す通りの訳なれば、とても帰る事ならず。其の掃部殿と申す人も、又助次郎と言ふ手代の人も我を見られし事なければ、我等に優りたる女を妹牧女と言ひなして伴れ帰り給はば苦しかるまじ。
元来三谷の里は我が居し事は僅か二ヵ年なれ共、父は浪人にて深き馴染みの方もなければ常々外へ出し事もなく、近所少々知る人あれども我其の時は漸く十六才、今二十四才となりし故風俗変わりたると思ふべし。
是に付き思ひ当る事の候、夫の姪娘あり。我より年二つ上なれ共、風俗我に似たりと常々夫申さるるなり。又器量は我より遥か上の生付きにて、先年室町のさる御屋敷へ腰元奉公致されしが、今は公家の家へ奉公して居らるるなり。
此人も不幸にて両親もなく兄御一人あれ共、悪生の人にて金を費やし家もなくなり身の置き所なき侭に妹の着類残りなく盗みとり行方知らず。妹身一つになり難儀せられしが生れ付き美なる故、方々より妾等に世話せんと言ふ人あれ共、何分着類なく着の侭にて公家の家へ当分水仕奉公して居らるるなり。
成るべき事ならば此の人を我が代りに伴れ帰り給はば幸の事なるべし。」と言ふ。
沢右衛門始終を聞き、
「其方の言ふ通りならばよき事なり。着類のなきはさして困る程の事に非ず。何様其の人を見たきものなり。」
「やがて夫も帰るべし。其の上此の人を招き候はん。御覧候へ」と言ふ。
程なく亭主立ち帰り
「御客人は御帰りなされしや。早朝よりの御出如何と案じ所々方々尋ねけれども御行方知られざる故、心元なく其方へ委細を尋ねんと思ひて途中より帰りしなり」と言ふ。
牧女音物を取り出し、「之見給へ。兄上は昨日迄清水へ居るならんと思ひ何の用意もせず上りし故、悦びの印土産の用意をせんと早朝出でし由申され候。これ御覧候へ」と差出す。亭主よくよく見て、
「是は思ひ依らざる御音物哉。斯く見苦しき我等なれば、御心に叶はずして御立出なされしならんと、心苦しく気の毒に存じたりしに、斯かる御厚情の土産に預る事、露ばかりにても知るならば御留め申すべきに、痛み入りたる仕合せなり」
沢右衛門立出で、「いやとよ、何ぞ御為になるべき様の品を持参致し度く存ずれ共、困窮の上独身の某なれば力及ばず、初見参の印、御挨拶恥かしく候」と言ふ。
牧女夫に向ひ、沢右衛門が言ひし掃部後妻の事委細物語りければ、亭主よくよく聞き、「さては思召し違ひに相成り候とや、それは気の毒なる次第哉」と言ふ。
牧女亦夫の姪娘の事、並びに委細の様子具に語る。主よくよく聞き、「其の儀ならば何より易き事なり。併し沢右衛門様、之ならば妹牧女なりと思召す様にあらずんば叶ふまじ。何れ此の女を此方へ呼び寄せ、よくよく御目にかけ、又彼が心掛など御承知下さるように計ふべし」と。
沢右衛門に向ひ、
「委細の訳妻が物語に承り候。申す旨に相違なきや」
「成程妹が申す通りなり。其の女中の事、我等とくと見申さねば相談決し難し」
「さらば御覧下さるべし。併し彼が参りて後言ひ難き事をば、御心得の為只今申し置くべし。彼参りて、若し御心に叶ひ伴れ帰り給わりても能々心得ざれば末に至りて人の家を破る様の事、世にまゝあるものなり。生まれつき美なりとて賞するに足らず、遊芸等に達し、諸事器用なりとて良しとするに非ず。只女は貞心を先とし、よく家を治める事にあらずんば女の道に候はず。
ここを以て案ずるに、彼の女と申すは拙者が為には姪にて候が、生れつき眉目良く、姿は妻等より勝れ、又智慧敏く、女の芸一通りはよく心得たる者に候へ共、拙者呑込み申さぬ事あり。先達室町にて、さる御屋敷へ妾奉公致し候ひしが、彼の御主人他の女に心移りしを怨み、主人の心移りの女を呪咀せしと内々聞及ぶ。
それ故御暇出しなり。実に嫉妬深きは女の第一の傷なり。我これを傷む。貴君様御国元にて力とも頼み給ふ御家へ、見知り給ふ人なきが故に、拙者が姪を御身の妹牧女なりと偽り伴れ帰り給ひて、末に至りて若し不届の事あらば、御自身の恥のみか御両親達迄の恥なり。是を以て申しがたき事まで打明け申すなり。併し彼も近頃殊の外なる災難にあひ、難儀致せし者なれば、よくよく意見を加へなば、以後を慎み心改め候はん。妻が思ひ付きの事なれば、やがて呼び寄せ申すべし」とて、亭主迎へに行き、早速連れ帰りける。
沢右衛門陰よりよくよく見れば、其の顔麗しく、妹牧女等には遥かに勝れ、風俗気高き美女なれば、思はず見とれてにっこと笑み、何とやら心浮かれて覚えける。
牧女、彼の女へ、
「近き所の富貴なる方へ御世話致し度き由申さるるに付き、招きしなり。細々の事は兄上より聞き給へ」と言ふ。
彼の女「されは思ひ依らぬ御事哉。我が如き不幸の女を御世話下されんとの御事有難き幸なり。さりながら兄上の悪性にて、着類、手道具迄残りなく取られしよう、水仕奉公も勤まり兼ね心憂き身の辛さ言ふばかりなく候。其の上我が如き不束なる者、但馬とやらんへ伴れ帰り下さるとも御用には立ちまじければ、御世話になる計りに候はん。斯かる御厄介になり申さんより、如何なる賎しき憂き勤めも我が兄上の故と思へば諦め易し。是より御断り下され宜しく御礼願ひ上候」と言ふ。
沢右衛門始終の様子を窺ひ見れば、弁舌しとやかにして姿の派手やかなる事、掃部の先妻綾女にも勝りて見えければ、心の内大きに喜び此の女を伴れ帰りて人の妻にせんよりも、何方へなり共伴れ行き我が楽しみにしたきものなりと思ひ、又妹が偽り者と思はんも由なく如何せんと心乱れ、何とも心落ち付かず、ただ何となくうかうかと笑を催し居りたりける。
牧女彼の女を伴ひ、沢右衛門の側に行き、
「先程御世話申せし人なり。思し召しに叶ひなば御世話下され候へ」と言ふ。
彼の女沢右衛門に向ひ、
「私事は此家の世話になり候不束なる女に候が、御世話下されんとの思召しを蒙り候と姉君の御話に承り、有難く存じ上候」と、身を引き下がり挨拶す。
沢右衛門、襟を掻き合せ、
「我は牧女が兄にて候が、はからざる災難集ひ不幸に会ひ、心ならず奉公させし処、此度国元へ伴れ帰らんと存じ上京して様子を聞けば、当家の御世話に相成り御養育を受け候事、満悦に存じ候へ共、此度我等上京せしは我が隣村富家より妹を貰ひ申すに付き、粗方約束せし事なるに、彼を都に残し置き我一人帰国しては先方へ不義理となり、始終拙者が身の為ならず。
然るに妹が申すを聞けば、其許未だ嫁せずして居らるる由、幸の事なれば我が妹として帰国はば、其許も身の為悪しき事は非ずと、これ迄招き候なり。何卒但馬へ御下りあらば拙者も幸なるべし。万一其許御心に叶はぬ事もあらば、其時拙者同道して上るべし。何れ御身の為悪しき様なる事には計らひ候はず。御心を決し給へ」と勧めける。
女差俯向き
「それは身にとりて此の上もなき幸、有難く存じ候へども、我が身不幸にて思はざる難に会ひ、着類残らず失ひ候ひて、実に着たる侭にて今は水仕奉公も勤まり兼ねる様な恥かしき有様、その上萬につけ不束なる者故、御用にたち候はん事あるまじければ、御許し下され候へ」
「いや、着類の事は着の侭にて苦しからず、但し当用の物だけは不自由なき様、我等工面致すべし。又田舎の事なれば、格別利口いるべからず、右申す通り心に叶はぬ事あらば拙者が妹にせし上は少しも遠慮なく、此所より送り付け参らする迄の事なり。何事も心安く思召さるべし」と言ふ。
牧女も倶に、
「其許下り給はねば、兄上の不義理と言ひ、又御為ならずとの事なれば、兄上に如才はあるまじ。何分一応下り給はり候へ。其の上は若し勤まり難き事もあらば、兄上の御世話にて帰るまでの事、さのみ案じ申す事に非ず」と、勧めければ、
「さらばよき様に御世話下さるべし。是まで奉公せし先は如何し候はん」
「其の儀は伯父がよきに計らひ申すべし」と言ふ。
女、心落ちつき、但馬へ下るに決着せり。
それより沢右衛門逗留の由、着類並びに当用の手道具迄求め、鋏箱等用意し、人足を雇ひ、彼女を妹牧女と偽り、委細の訳をよくよく言ひ含め、妹夫婦に暇乞いして、但馬をさして帰りける。
沢右衛門は此の度の始末思ひの外の幸となり、之を便りに心中に謀計をたくらみしとかや。
沢右衛門帰国する事附、牡丹睡猫の譬
夫(それ)、侫奸者の人を惑はし損ふ事、譬ば牡丹睡猫の諺の如し。
沢右衛門、近年掃部の家へ出入りしてより、諸人の心に叶ふ様に計らひ、家内の者同様にあしらはるるにつき、己が妹を掃部の家に出入なさせんと計りしに、妹、はや人の妻となりし故、はかりごと相違せしかど、幸にも我が妹を見知りしなきを以て、彼の女を妹牧女なりと言ひなし、国元へ伴れ帰りしは、よき術(てだて)と見えし。
牡丹、花の咲き満るあり。猫、その元に来り、爪を隠して睡りふす。その姿、花をながむるに似たれども、かれが心花にあらず。蝶、来たって花に戯れ蜜をすはんとする時、飛びかかり犯しとらんが為なり。
これ侫奸の者の譬えにして、侫人の表は賢人にまがふを言へるなり。面色和かにして多く物を言はず、人に逆らはぬ振りしてよく人の心を探り、落度をとりて罪に落し、謀計を以て言葉を巧にして害をなす。
唐土にては、漢の莽、唐の禄山、我が朝にては蘇我の入鹿、かくの如き類、世に多し。
さて沢右衛門、故郷近く帰りけるが、先ず宿南にて日も暮れければ、彼女と人足を外に休ませ、その身は掃部の方へ立ち寄り、掃部殿へ対面す。
「先達は上京の由、先ずは無事にて帰国、目出度し」となり。
沢右衛門も、留守中不参の挨拶をし、深谷(みたに)の里へ帰り、その夜は人足に酒等飲ませ、賃銭を渡しける。
近所の婦女来り喜びて、
「昨日は妹御、御帰りの由、久しく都へ居給ひし故、身かはす程よき御器量になり給ひし」と賞美し、沢右衛門が妹に非ずと思ふ者は無かりける。女も、痴者(しれもの)なれば、まえ方、この里にありしやうに言ひなしける故、諸人実と思ふは理(ことはり)なり。
明くれば沢右衛門、心ばかりの土産など持ち、掃部の方へ行き、
「妹儀、久しく都にて公家奉つかまつり居り候ところ、当年、母が年回に相成り、又公家奉公も余り窮屈に候故、ひとまず国へ帰りたき由、申しこし候につき、是非なく、御暇を願ひ、昨日伴れ帰りしなり」
と、物語し、その後、助次郎に会ひ、掃部の所存を問へば、
「さればとよ、先達ての通り、後妻の事、一向取り合い申されず、それ故、折を見合わせ候なり。何れ四,五日過ぎなば、其許、何となく用事ある由にて他行せしと妹御を伴れ来らるべし。
我が妻の方へ預り置き、首尾を窺がひ、旦那の目にかかるやう拙者、計らひ申すべし」
沢右衛門、「尤もなり」とて、立ち帰りける。
五,六日過ぎ、掃部の家に来り、
「拙者、上京の節、城崎のさる人より頼まれし事ありて参り候。品により四,五日も逗留仕るべし。留守の内、御心添願上げ候」と言ふ。
掃部、承知の由なり。又、助次郎に向かひ、
「我等独身の時は幾日他行致しても、心安かりしに、妹帰りし故、女一人留守も致させ難く、甚だ困り入り候。
何卒、拙者帰るまで、御預り下され。何事にても御用の儀を申し付けまじくや、この段、ひとへに頼み入り候」といふ。
「成る程尤もなり。我が妻の方へ預り置き申さるべし。本宅へは御気質堅き旦那なれば、思し召しの程如何ならん」
掃部、これを聞き、
「助次郎申す処、尤もなり」とありし故、沢右衛門、大きに喜び、やがて妹を伴れ来りければ、
牧女、掃部に向ひ、
「私儀は、沢右衛門が妹にて候が、久しく都へ奉公致し、此度国へ帰り、何かと承り候へば、沢右衛門事、御内方様の御蔭を蒙り、御世話の御恩、申し尽くし難き由、申さるる故、早々お礼に参りたく候へども、歩みなれぬ道中に疲れ、今日まで御礼申上げず、御許し下さるべし」と言ふ。
口上と言ひ、態(なり)を見れば閑稚(しとやか)なること先妻にも勝りし風俗なれば、掃部、思はず笑を含み、
「されば久しく高家の内へ勤められし由、聞及ぶ。定めし心苦しく思はれしならん。先ず先ず堅固にて帰国せられ目出度く存ずるなり。隣村のことなれば、我が内へも折々参り、鬱気を晴らし候はるべし」
牧女、両手をつき、
「御用の節は如何様の事にても御申し付け、召使ひ下さるべし」と、しとやかに言ひければ、掃部、つくづくこの女を見ると、容粧、勝れて麗しく、風俗あい果てし、綾女の面影によく似たりければ、何となく心移りて覚えける。
美女を「傾城」、「傾国」とはよく名付けたる言葉なり。
助次郎、牧女に向かひ、
「ここは気遣はしく想はるべし。我が妻の方へ行きて休息し給へ」
「さらば、御案内下さるべし。御世話に預り参らせん」と、助次郎が妻の方へ行きたりける。
やがてその日も夕方になりしが、助次郎、肴など調へ、掃部に酒をすすめ、
「今日、沢右衛門が妹、参り居れば、御鬱散の為、酌をとらせ候ひては如何候はん」
「その方左様思はば、よきに計らひ候へ」
助次郎、牧女を招き、掃部に酒を勧めしが、流石、室町にて高家へ勤めしくせ物なれば、強からず弱からず、掃部の尋ねらるる事あらば、将軍の隠館、室町の次第、又内裏、欽定御殿の有様、その他神社仏閣、古跡等の事、尋ねるに応じて委細を語る。
その弁舌、流るるが如くなり。
かくて、四,五日過ぎ行けば、助次郎、掃部に向かひ、
「奥方なくならせられしより、御着類等手入れせでは叶ふまじき物多く候へども、行き届き申さず、若旦那の御衣裳等も当用の物は愚妻が仕立て候へども、元来、縫針不器用にて見苦しく、この頃牧女殿に伝へ頼み候処、殊の外上手にて、手早く見え候故、何かと御衣服損じしもの仕立させたく申候。如何計らひ候はんや」
「成る程、幸ひの事なれば、手伝はせて宜しからん」
それより十日ばかりたちて沢右衛門帰り、
「此度は、はからざる別用出来候ひて、長逗留に相成り、妹が事、御世話に預り有難く存じ候」と言ふ。
「さらば我が家、着類等損じたれば、助次郎妻ばかりにて行き届かず、手伝頼みたき由、申すに付、今しばらく頼み置き、仕事が済み次第送らせ帰し申すべし」
「それは幸ひの仕合せかな。御用に立たば何時までも御召使に御申し付け下され候へ」
掃部、心よげなる体に見えければ、沢右衛門、妹に向かひ、
「去年、奥方なくなり給ひしより、御着類は勿論、何かと不始末になりし故、助次郎殿御内室に指図を受け、萬に気を付け、旦那の御気の休むやう、よくよく御用勤め候へ」
牧女「左様には存じ候へども、不調法の上、勝手不案内のこと故、御用にはたたずして御世話になり参らするばかりなり。」と言ふ。
沢右衛門は心に喜び、我が身に金子、所持せる事を人に悟られざるよう不自由の渡世に見せ、折々、助次郎を頼み、掃部の方より五穀三石づつ借用などして日を送る。深きたくらみあること、後にぞ思ひ知られたり。
かようにして月日を送りしが、本宅に用事繁き時は、牧女に何かと、とかく世話を頼みしに、先立ちし綾女の取り計らひに少しも違はず、諸事滞りなく行き届き、自然と家の締りもよく、掃部、何となく内証の事まで、牧女に相談するやうになりし故、万端、心に叶ふ様に気を付け、別して喜代若を大切にし労はり、その他、下女下男に至るまで心を付けし故、上下とも家内の受けよく、この人無くては一日も勤まらず等言ひ合へり。
元来、智恵勝れし女と言ひ、都にて諸人にもまれたる曲者なるに、沢右衛門、諸事をよくよく言ひ含め、内証にて示し合せたる事なれば、物和らかに家内を恵み、身を引下げて気を付けたる事、綾女存命の時にも勝れたり。
或時、掃部の前に手をつき、
「助次郎様の御子息、外へ御勤めなさるる由、御衣類の事、心許なし。御果てなされし鶴千代様の御衣裳や、喜代若様の御用なき着類等、多く見え候。取調べ、見苦しからぬ様仕立進上しては如何候はん。助次郎様御夫婦は、我が子の事なれば、御内方の世話に取り紛れ、行届き候はじ。若き殿達は着類の見苦しきは心のひがむものに候」と言ふ。
掃部打ち頷き
「よくも心付き候もの哉。彼は当家第一の力にすべき者にて、喜代若が後楯なり。その方申す如く、助次郎の妻は縫針等無器用の上、世事に暇なければ、心にかかるとも思ふ様に気をつけまじ。勝之介が事、大嶋兵庫殿へ付き、当時は八木へ居るなれば、道隔たりて当用の事までも心に任せず、定めて着類ふつづかならん。彼が着類の品は、その方よきに気をつけ呉れ候へ」
牧女それより助次郎が妻へ、鶴千代の着荒らされしを取り出させ、品よく仕立ける。
数々取り揃へ助次郎が妻へ
「御子息様の着類へなりと致し候へ」と言って渡しける。
助次郎夫婦大きに喜び、「其許の親切、親にも勝り候」とて、直ちに八木へ遣はしける。
かように万端、気を付ける故、家内は勿論、隣家まで牧女を褒め、あがむる事、奥方の如くなり。
けれども牧女は内心に深き望みあれば、いよいよ身を下げ、下女の如くに勤める故、家内うやまひける。
されども掃部は一心鉄石の如く、かりにも戯れの言葉を言わず、喜代若に我が床をとらせ、親子枕を並べ、昼といえども寝所へ女を入れず、行儀堅く日を送りける。
牧女掃部の妾となる事附 晋の献公の事
かくて光陰を送りけるが、或時、助次郎、ひそかに主人に語りけるは、
「さても牧女殿の事、数月の間、諸事を考へ見候に、万端に付き先奥方の御計らひに少しも違はず、その上かげひなたなく喜代若君を労はり愛せらるる事実母に過ぎたり。
かかる女性は世に稀なるべし。主人未だ五十歳にも満ち給はず、一生無妻にて過ごし給はん事、御家の不為となるべし。愚妻とても無器用の上、歳寄りて御世話届かず。
喜代若殿未だ御幼年なれば、一生寡にて暮らし給はん事、御家の為ならず。
牧女殿は先奥方の後を追ふべき発明あり。
此の人を当時の妾に定められ候へ」と勧めければ、
「成る程、其の方が申す如く、何かと気の付く事、相果てし綾女に勝り、又器量、風俗も是に劣るまじ。然れども内心の善悪はなかなか知れざるものなり。
若し我が妾に定め、幼き者等出生して後、悪しき心も出でなば、其の時悔ゆるとも詮なし。
我つらつら考ふるに、かく発明にて智慧勝れし女に、得て内心に毒ある者多し。されば女は菩薩に似て顔艶(かんばせうるわし)と言えども、内心は夜叉の如しと言えり。
妻妾の事、急に決し難し。汝が申す旨もその道理無きにあらねども、我またとくと考えずんば非ず。早まりて詮なければ事を急ぐに及ばず」
と言ひて、妾の事を早速に決せざれば、助次郎すべき様なく日を送りしが、此の女性、器量発明勝れたれば、若し外方へ貰はれん事も計り難し。
その時悔ゆるとも詮なし。主人は片意地に申されども、一生寡にて暮されんは、家の不為と思ひ、尚また喜代若は、歳未だ深き思慮もなく、只牧女の明暮愛せるを喜び居りたりしが、或時、深更に及び、人静まりて後、父の枕元にかしこまり、
「父上は如何思召し給ふぞ。母上亡くなり給ひてより心淋しく、萬に付けて力なく、明暮恋ひしかりしに、牧女殿来給ひてより、何事も母上の在はしまします時の様に思ひ、果て給ひし母上の帰り給はりし様に思はれ候。
若し此の人外へ参られなば、母に離るるやうに悲しく思ひ候へば、此の後は我が母上になり給ふ様願ひ奉る」
と、涙を浮かべて語りければ、掃部は始終を聞き、助次郎が教へて言はすとは知らず、我が身の心淋しきにつjけて、一子の愛情に心迷ひ両眼に涙を浮かべ、
「如何様母や兄に後れぬれば子供心にも淋しく思ふは理(ことわり)なり。此の事は助次郎も折々父に勧めしなり。されども、心一決せぬは、其の方が行末を大事と思ふが故なり。継母と言ふ者は始めは継子を憐み、家の為になる様なれども、実子など出来なば初めの心に引変へて、後には自然と本心を現はし、悪心となる事、古今其の例多し。
是に付てさる物語あり。よく聞き候へ。
昔、唐土(もろこし)晋の国に、献公と言ひし国王あり。
其の后は賢女にて名を斎姜と言ふ。
三人の子を生み給ふ。兄を申生と言ひ、次男を重耳、其の次を夷吾と言ふ。皆、賢子なり。
三人の子成長し給ひて後、母の斎姜世を去り給ふ。献公歎き給ふ事深しといえども、月日遥に遠く成りし程に、移れば変る人心、昔の契を忘れ終に驪姫と言ふ美人を迎へ后とせり。
此の驪姫と言ふ女、姿の美なるは勿論、智慧人に勝れ、弁舌水の流るるが如く、能く君の心を喜ばしむ。
されば献公の寵愛深くして、訣れし妻の事を打ち忘れ給ひけり。
かくて年月をふる程に驪姫また男子を産めり。是を奚斎と言ふ。
未だ幼しといえども母の寵愛に依りて、父の思もまた三人の太子に超えたり。献公常に先の后斎姜の子三人を捨て、驪姫が生みし子の奚斎に晋の国を譲らんと思へり。
驪姫内心は嬉しく思ひ乍ら、偽りて言ひけるは
「奚斎未だ幼くして善悪を弁へず、賢愚更に見えず、然るに先に出生したる義理ある三人の賢子を超えて我が生みし子に此の国を継がせん事、それ天下の人の悪む処なり。
かかる道ならぬ事をば、決して成し給ふな。」と、時々諌め申しければ、献公いよいよ驪姫が心に私なく、世のそしりを恥じ、国を安からん事を思へるなりと深く感じて、ただ万事を是に任せられしかば、其の威、益々重くなって天下皆是に帰服せり。
ある時、嫡子申生、なき母の追善の為に祭をなしけるが、尊霊に供へる料理を分け、父献公の方へ献じ給ふ。折節父は狩場へ出で留守なりけるが、此の料理を器物にいれて置きたるを、驪姫ひそかに鴆(ちん)と言ふ恐ろしき毒を入れたり。
献公狩場より帰り給ひしを驪姫申されけるは、「人より送りし物をば先ず人に食はせて後、君には勧め申すなり。」とて、御前に於て人々に少し宛食せられたりしに、其の人々忽に血を吐きて死にけり。
「是は如何なる事ぞ」とて、庭前なる犬に食はせ給ひしかば、犬皆倒れ狂ひ死す。
其の時、驪姫偽りて涙を流し、「我れ太子申生を大切に思ふ事、我が子の奚斎に勝れしに、先達て奚斎を太子に立てんとし給ひしを憤り、此の毒を以て我と父とを殺し、早く是の国をとらんとたくらまれるこそ悲しけれ。
是を以て思ふに、君にも如何になり給ひなん。
後は申生よも我と奚斎とをば助け置き給ふまじ。
願はくば、君我を捨て、奚斎を殺して太子申生の心を休め給へ」
と、泣々献公に口説きける。元来智浅くして甘言を信ずる人なりければ、大きに怒って申生を懲すべき由、典獄の官人に仰付けらる。
群臣みな申生の罪なくして殺され給ふを歎き悲しみ、「早く他国へ落させ給へ」と告げたりける。申生是を聞き涙を浮べ給ひ、「我れ少年の昔は母を失ひ、成長の今は継母のざんにあへり。これ不幸の上に妖命備はれり。尤も天地の間、何れの所か父母なき国あらん。
今死を遁れんが為に他国に行きなば、それこそ「父を殺さんと鴆毒を与へたりし大逆不孝の者よ」と見る人毎に悪まれ、生きたりとて何のかんばせあらん。
我が誤らざる処とは天これを知れり。
ただ虚名の下に死を賜って父の怒りを休めんにはしかじ」とて、討手の来らざる先に自ら剣に貫かれて死し給ふ。
いたはしかりける次第なり。
その弟重耳、夷吾この事を聞きて、驪姫ざん言しまた我が身の上に来らん事を恐れて、二人とも他国へ逃げ行き、山林に身を隠し給ひける。
かくて奚斎に晋の国を譲りけるが、天命に背きし報いにや、幾程なく献公、奚斎父子共に其の臣下、里尅と言ふ者に殺され、晋の国たちまちに滅びける。
かく様の事、和漢に其の類多し。
危きに近寄らずとは賢者が教へなり。我先立ちし汝が母の貞実と其方が身の行末を思ふが故、一生無妻にて過ごさんと覚悟せしなり。
然りといえども助次郎始め汝までかほどに勧むるを聞き入れざるも片意地なりと思ふらん。よく思案致すべし」
とて休まれける。
かくて助次郎夫妻、一子喜代若度々勧め申すに付き、あらあら承知し、
「さらば我が世話人として抱へ置くべし。若し末に至り心得難き事あらば、その時追出さんに仔細あらじ」となり。
是に依って皆安堵して此の旨沢右衛門に通じければ、大きに喜び、
「左様になし下さらば妹が幸なり。然るべき御計ひ下さるべし」と言ふ。
牧女も「側近く召使ひ下さらば有難き幸なり。さりながら何事も御心に叶ふまじければ御用にたち候様御蔭を願ひ候」と申しける。
牧女男子を産み本妻となる事
されば牧女掃部の妾となりてより、智慧勝れし奸女なれば、貞実の心底に見せ、喜代若を愛し掃部の心をとり、勤める事、先妻にも勝りければ、掃部も牧女に心を移し、年月を送る事二年ばかりなりしが、牧女懐胎せり。
ある時掃部に言ひけるは、
「君の情けを蒙り御側近く召使はるる事有難く、月日を送りし処、妾ただならぬ身になり候へ共、若し子等育ち候へば、如何程喜代若若君を大切に思ふとも、世間の人に無き名をたてられ候はん事計り難ければ、人知れず捨て候はん。さりながら流産して果る者世に多し。我若し命を失はば是まで受けし御恩をも報じ参らせずして、空しくならん事の悲しさよ」
と打ち萎れてぞ語りける。
「何とてかかる心能き事を言ふぞ。女の男に合ひぬれば妊娠するは自然なり。子を育てたりとも、汝の心これまでの心底なれば、人の口にかかる事非じ。若し男子等出生せば、喜代若が力ともならん。
なんぞ其方が子を捨てんや、身を大切に保養し時節を待つべし」となり。
牧女涙を浮かべ、
「御情の御恩言尽し難し」と。
それより日数積りて男子出生す。掃部喜び名を金吾と付けたりける。かかりし後は、何となく諸人牧女を尊敬する故、掃部許して本妻とせり。
然れども心の底に毒を含みたる奸女なれば、少しも高ぶる気色なく、妾たりし時の如く身を下って勤めしが、金吾4歳となりし時、また一人女子を産む。是を民女と言ふ。
かくなりし後は掃部自然と先妻の事を忘れ牧女を愛しける。
喜代若今年十七歳、改名して祖父の名を継ぎ、左衛門と言ふ。金吾は生れつき美しく、智慧も賢しく見えければ、掃部夫婦深く寵愛す。牧女本妻となりてより、諸人先妻綾女通りに敬へ共、沢右衛門は我が妹の事なれば、度々来りて何事も遠慮なく前の通りに物語りし、帳台深く入り込むといえども、掃部始め兄妹の事なれば、誰とがむる者無く思ふままに密通し、掃部の威を借り心のままに振舞ひける。
助次郎は心に憎しと思へども、奥方の兄なれば心ならずも沢右衛門を崇め、我が身を下げて日を送りける。
沢右衛門牧女との密通を助次郎へ悟らるる事
ある時、掃部親子とも他行の事あり。沢右衛門来り内用ありとて、牧女を帳台へ伴ひ行き、手を取りて引き寄せ、耳に口をつけ、何やらん囁きしを、計らずも助次郎チラと見けるが、何とも合点ゆかず、兄妹の事なれば異議かたかるべきに、何とやらん、奥方の手を握りなどせられしは、いぶかしき次第なり。
その上、沢右衛門と奥方の目遣ひ一方ならず、されども兄妹に相違なし。何はともあれ今日のふり心得ずと思ひしがさあらぬ体してもてなしける。
沢右衛門帰りて後、助次郎牧女へ向かひ、
「御令兄、沢右衛門様度々御出の事にて、奥深く御話などし給ふも、御兄妹の事なれば苦しからずといえども、たとへ、兄妹にもせよ、男女の差別あれば、人目を忍びての御話などはよろしからず」と言ふ。
牧女、さては沢右衛門と内証の密事助次郎に悟られしならんと、胸に釘打つ如くこたへしが、曲者なればさあらぬ体に打笑み、
「なるほど、申さるる通り、我が現在の兄といえども男子の事なり。訳を知らぬ者は不審にも思ひつらん。その上、兄の事を人様に言ふも如何なれども、悪しき癖のある人にて、何事に依らずその身喜ばしき事あれば、妹の前をも恥ぢず戯るる様の振りをする人なり。
我もいやに思へども、兄の事ゆえ、はぢしめもならず。よくこそ気を付け給ひしぞ。この上は心得申すべし」
と、誠らしく言ひなせば、律義一筋の助次郎なれば、よもやと思ひ、
「その御心得こそ宜しく候」と言ふ。
その後、また、沢右衛門来りしに、折節、助次郎居ざりければ、牧女、沢右衛門を一間に招き、
「さてもつまらぬ事こそ候へ。先日御身と二人物語し、我が手を握り給ひしを、助次郎は如何にして見たるにや、我にか様か様の事を申せしなり。御身と日頃の密事、これ迄知る人なかりしに、万一現はれなば一大事、互に心得用心せずばなるまじ」と言ふ。
奸侫不敵の沢右衛門、なるほど胸にこたえけるにや眉をしはめ、
「さて大事を悟られしものかな。此度、万一掃部親子に悟られなば、我が大望の妨げなり。
これは、よくよく思案せずんばなるまじ。暫らく待給へ。我工夫を廻らし事を計るまじ。しかし急にはなりがたし。
我らも当分、参るまじ。追っ付掃部親子も帰るべければ、万端気を付け候へ。」
と直ぐに立帰りける。
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