十月の行事

稲刈り・秋祭り

初めにこの伝説をお知らせしたい。
昔ある年の日照り続きに、田の稲は全部枯れたが桑の葉陰の三本だけが育ち、少しばかりの籾が取れた。今日稲作が出来るのは、桑の木のおかげである、といって、焼き米を作り桑の葉にのせて神様、仏さまにお供えするとしている、関宮町熊次地区がある。

鎌止め

鎌止めとは、稲刈りを禁止する事であるが、早く刈ると収量も品質も劣る不利も知りながらも少しでも早く刈ろうとした背景は何か。
戦前の農村は、地縁と血縁で強く結ばれた一つの共同体社会であった。他人の仕事の遅れも見逃さず互いに、こうりょく(合力)し助け合った。この事はよいことであるが合力を受けることは、身の恥、家の恥と心得、合力を受けないように、朝早くから夜遅くまで、働くばかりでなく稲刈りなどは、少しでも早く取り掛かろうとした。

秋祭り

祭りの宵宮には、お宮さんのお堂でおこもりをして、野荒しをしてもあまり叱られる事がなかったと言う。最も罪深い事とされていたが、和田山町の中学校では、これを文化祭の学校劇に取り上げて、反省の機会を作り自発的にやめさせたのは戦後間もない頃であった。

コメント